【第1詣】Mile Mode / はじめに

コラム
2015.02.21

ここの役割

なにかを放ったらかしにしてしまっては、すぐにその記憶は消えてしまいます。当プロジェクトの3年の歩みでさえ、すぐになにもなかったもののようになってしまう。

あちらこちらに赴いていたはずの活動でさえ、瞬く間にあやふやになってきて「ほんとにあの場所に行ったんだっけ?」というような気もしてきます。また、映画の中に入れられなかった、本来はだれかに見せるべきものたちが、箪笥の肥やしになってしまうという危機感のようなものもありました。

デジタルデータというリスキーなものであるし、ハードディスクといくつかのバックアップが、なにかの拍子で飛んでしまったら、もはや取り戻せないかもしれない。僕はそれがイヤでした。

だからここは、放ったらかしにしないための場所です。

ビジネスに秀でた人たちならば、こういったものを簡単にお金に変えることができるのでしょう。しかし僕らはビジネスマンではないし、そもそもがお金欲しさに始めたわけでもない。

なんというか、「けっこう先の未来に、ちょっとでも自分が言ったり、撮ったりしたものがなんかに役立つかな」という獏とした、ある種、祈りのような気持ちがなければ、続けられませんでした。これまでの道程を振り返ると、正直かなりしんどかったです。

だれに言っても信じてもらえませんが、僕は本来とても人見知りで出不精なんです。持病もあり、体力があるほうでも、頭が良いわけでもない。それがこんななんかワケのわからないものを始めてしまったんですから。

膨大に溜まっていくものへの態度として、あるいは潔く二度と振り返らないで、断捨離してしまうことが必要なのかもしれない。「いつまで古いものに拘ってるんだ!」といった野次が飛んでくるような気もするし。でも、それでも諦めたくはないというか、イヂのようなものです。

これから先にプロジェクトを続けるための最低限の活動費は、そうこう言ってもなんとか作らないといけませんが、せめて助成事業として活動した2年間の内容だけでも、映画を観ていなくてもわかるように、そのほとんどを社会と世間に解放するべきではないのかと考え、試行錯誤を重ねながらこのサイトを作ろうと重い腰をあげました。

別段文章やら編集やら校正やらの専門家でもないので、どんなに足搔いても付け焼刃プラスアルファぐらいにしかならないかもしれませんが、そこはヒラにご容赦ください。

新しいことがしたい。

何度もしつこいと言われそうですが、僕らには潤沢な予算がないのだし、それに十分な知見も人手もないけれども、はたまた徳島の山奥で、こういった全国規模のことを始めてしまうと、当然リスクもかなりあるけれども、それでも自分たちの良いところは、とにかくやってみるということです。やってみたら、なんとかなるということだけわかっています。

なんにしてもこんなもんだろうと、高を括っているところもあるかもしれません。至極当然、かなりの背伸びはしています。がしかし、やってみるのです。やってみて、多くの先人を知り、やってみて多くの同調者が意外にも存在していることを知りました。

僕らの目的は、なにかを糾明したり弾劾することではありません。そうすることは(身の危険などの意味で)リスキーですが、存外に容易でもあります。そして自分が一段上に立つような気がして、実にセイセイします。

しかし幾度も幾度も取材しながら思ったことがあります。原発やダムも、一方では生活のためにはそうせざるを得なかったという側面があるのです。かつてはせざるを得なかったし、現在もそうだという人も大勢います。

古い習慣・伝統的文化の保持者でありながら、自らが破壊者であるような人たちもいる。破壊の理由のほとんどは、やはり生活のためです。そういうことを抜きにしては日本の現在を直視できないのだと思います。

ただ東京のビルの片隅にいるときには、そんなことが世の中に存在しているなど、想像だにできませんでした。地方にいる先輩方には当たり前のことでしょうが、僕のような関東の都市部生まれの人間は、農山村の現実なんてこれっぽっちも知りませんでした。

だから僕はある種、ただのヒヨッコかもしれない若者世代を代表して、日本の現在を直視しようとしているのかもしれません。

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2012年5月 宮城県、女川にて。

これまで実に多くの偉大な先人たちが、さまざまにこの国を調べ、歩き、撮影してきました。しかしそういった物事は、紙魚が出てきそうな、図書館の古めかしく重々しい本の中だけで完結するようなことでは実はなくて、2010年代のこの今でも、なにかができるんじゃないだろうかと考えているわけです。僕はただ古いものをなぞるのではなく、新しいことがしたい。そう考えています。

そんなことは、多くのテレビ局や新聞社、出版社がやっていることじゃん?という向きもあるかもしれない。それはそうだとも思う。しかし、四国の山に住みだして5年目にしてわかることもあります。彼らには、まったく見えてないものがあると。簡単にいえば、それは「外側からの冷たい視線」のみに終始しているということです。

「以上、現場からでした」とレポーター諸氏は締め括りますが、あらゆる現場は「以上」だと締め括れない、「以降」がひたすら続くのです。自分は少しでもその「以降」に寄りそい、もっと先にある「以前」までさかのぼってみて、ものを見てみたいと思いました。

簡潔に言うならば、「内側からの身内のような視線」でなにかを捉えようとしているのかもしれません。

模索するメディアのスタート

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2013年9月 福島、富岡付近にて。

2013年、福島を旅しました。行ってみて、僕はただひたすら、悲しかったです。いろんな思想や言葉や知識や情報が、どうでもいいもののように思えました。

なにも手に付かなくなり、無意味に思えました。半年くらいそういう感覚が続いたかと思います。

当事者でも被災者でもない僕にできるのは、せいぜいその悲しさを正直に伝えることぐらいなんじゃないか。ドキュメンタリーというものをやっている者としての最低限のモラルとして、あるいは貞操観念として、自分が考えも、感じもしていないことや、知りもしないことを、大上段に語ることなんかできないのです。

だから産土プロジェクトは、模索するメディアです。なにかを取材しているわけですから、やはりメディアの端くれではあります。

これからもおそらく僕は、いろんなことをまずはやってみるのだと思います。いろんなところに行き、いろんな人に会い、いろんなことに「へえ~」と首肯したり、「ええ?」と首を傾げたりするでしょう。

無数の思い違い、考え違い、種々の不足があるでしょう。そういうことに対して、ぜひ突っ込みを入れてもらえたらと思います。そして、みなさんの産土の話を聴かせてもらえたらとも思っています。僕はたぶん、それが一番知りたいのです。

ここに至るまでの2年間の活動をこのサイトに集約することにします。それぞれのキャラバン目的地に分けたインタビュー集、難解な用語を解説するための用語集、そして「参詣(Mile Mode)」という名のコラムにて、撮影秘話や未公開の写真・映像なども惜しげもなく掲載していくつもりです。

これを読まれるみなさんも、ともに旅に出ているような感覚を味わって頂ければ幸いです。(この項了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。