【第3詣】Mile Mode / 木頭村1日目

コラム
2015.06.24

木頭へ。

2012/7/8 (日曜日)

出立前の一コマ。初めてのキャラバンゆえ、機材の用意その他何をするにも不慣れであった。

道はどこまでも果てしなく、ハンドルを握る手は過度に汗ばんでいた。

向う先は同じ徳島県の木頭村という場所だ。なんてたって僕ら産土プロジェクト(最もこの時は「森と共に生きる暮らし方探訪キャラバンプロジェクト」という長たらしい名称が付いていた)初めてのロケである。いよいよこれから始まるのである。

僕の住まいである神山町から地図で見れば木頭村は、直線で40キロ程度の距離だ。最短な筈の直線に近い道(193号線)はよく落石などで通行止めになっている悪路なので避け、佐那河内村から上勝を抜け、阿南市に入ってから195号線に合流して、那賀町に入ることになっている。

出立したのは薄暗い早朝。まだ半年に満たない子供の寝顔に後ろ髪をひっぱられつつ家をこっそりと抜け、狭いオンボロのマーチの車内に、ギュウギュウと機材と顔の濃い男二人とを積み込んだ。

濃い顔男の正体は、フランス人のジャン・フィリップ・マルタン(通称ジャンフィ)と、モデルの堀川ジュリアン健太である。ジャンフィは以前僕がやっていたことを手伝ってもらったこともある留学生で演劇を専攻している。キャラバンをする条件の一つである「日本在住の外国人」が中々おらず、旧縁を頼っての参加。ジュリアンは日仏のハーフで、雑誌等で時折出てくる立派なモデルなのだが、なぜか普段は神山におり時間があるとのことで、録音スタッフとして来てもらうことになった。

そんな奇妙なトリオでの道中である。馴れないことはするものではないと云うが、出発して早々、前日ガソリンを入れるのをうっかり忘れたことに気づく。どこかの途上にあるだろうとタカを括ってどんどん進んだ。あるにはあった。だが、すべて閉まっていた…。

那賀町の中心部を走っていてもどこもやっていないのに焦って、停まった信号の近くにあったガソリンスタンドの上に居住スペースがあるのを見つけてジュリアンに頼んでもらい、寝起きだったと思われる経営者と押し問答の末、なんとかガソリンを満タンに出来た。恐ろしいことに、それから目的地まで一軒のスタンドも開いてはいなかった。

おららの炭小屋

深い山の間を那賀川と平行するような形で、更に1時間以上ズンズンと蛇行していく。オンボロ車ゆえ、ちょっとした坂でも機材と男三人の重量で、減速してしまう。どこまでも山と緑しかない風景が続く。木頭も含めた徳島の山間部は、その昔、尾根伝いに平家の残党が落延びてきたという無数の伝説があるが、それも納得出来る山深さだ。…暫くすると視界に突如として集落が現れ、木頭村の中心地である支所(那賀町役場木頭支所)の当たりに到着した。

ロケの案内やコーディネートを頼んでいた玄番(げんば)さんというIターンの方とそこで落ち合い、彼の軽四バンの後を追って、木頭の西端・北川地区にある「おららの炭小屋」に到着。「おらら」とは、木頭弁で「俺たちの」程度の意味だと云う。

木頭村に来るのは二度目である。先月にP役の荒川と挨拶とロケハンを兼ねて訪れた。だが撮影となるとまったく変わる。堅くなるのを自覚する。

車を停め、ドアを開ける一瞬、大きく息を吐いた。気概とともに若干のヒキツリというか怯えのようなものがある。元来が重度の人見知りである。十代の頃は赤面症に悩まされていたほどだ。名は変えようが何をしようが、知らない人々に逢いに行こうとする度に立ちすくんでしまいそうになるが、これをなかったことにする。只、平気だと思い込むのである。だが一瞬の逡巡はどこへ行こうともなくなることはない。ドアを開けると、蒸し暑さと強烈な日差しとに包まれた。

炭焼きの作業風景。木の種類を言われてもチンプンカンプンだった。

機材を降ろして玄番さんの後を歩いて行くと、十数人の老人たちに笑顔で迎えられた。緊張の面持ちで企画意図等々を説明し終え、撮影開始。炭小屋で丁度焼き上がったばかりの炭を出し、出した炭を全員で切っていく作業を撮影する。事前に「ヤッケと長靴を持ってくること」と玄番さんに言われていたのだが、彼らに促されるまま撮影を中断して武装し、老人たちに交じって糸ノコで切ってみたが、思ったよりも難しい。

慶兄(けいにい)と呼ばれる老人(大城慶三郎さん)が「これは桜だ。これはケヤキだ。こいつは椎茸にするシデの木。」など時折解説をしてくれるのだが(上記映像参照)、言われてみてもただ炭化した同じ木片にしか見えず、焼けた木の肌質が違うというが全く判らない。作業に交じりながら周囲の人と話してみると、徳島市内から趣味として通っている人もいたりする。そもそもこの炭づくりはなんのためにやっているのか?と訊いてみると、商売というよりも、慶兄のような熟練者からすこしでもなにかを受継ごうというのが目的であるようだった。

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木馬に使っていた金具。

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上記金具と実際の木馬を見せてくれた方、お名前はなんと「平」さん。

鹿の解体

昼過ぎ、荷台に死んだ鹿を乗せた軽トラがやってきた。網にかかって死んでいたものを、供養ということもあり食べるのだと云う。老人たちは「今時色々うるさいからな」と若干撮影を躊躇していたが、僕はどうしても撮りたかった。クランプでカメラを固定し、一部始終をタイムラプスで撮りたいと思った。無論解体を「トンデモ映像」として撮りたいのではなく、森と共に生きてきた人の技を見ることによって言葉にはできない何かを感じたかったからだ。

鹿の解体映像(視聴若干注意) 音楽:橋本秀幸 Yura Yura (『home』より)

撮影前のスクミはどこかに消えている。こうなってくるとまったくの集中状態になり、撮影することと自分とが一体化して、他のものがまったく耳に入らなくなってくる。普段骨付きの鳥肉だって躊躇するような自分だが、なぜか首だけになっていく鹿の解体を凝視しても嘔吐を催すようなことはなく、かえって命の尊厳のようなものを感じている気がした。鹿はいとも奇麗に肉になった。

晩は僕らへの歓待も兼ねてのささやかな宴会をしてくれると云う。夕方から準備をし、先ほどの鹿や、釣って来たアメゴやジャガイモなどが出された。鹿は「セミ(おそらく背実)」と呼ばれる背中の部分が一番ウマいと云う。そこをナマで頂いたが、予想に反して臭みがなく、実にウマかった。玄番さんの子供たち等もいつしかやってきており、子供のうちからこういうところで育つということに、若干の羨望を抱きもした。

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鹿のセミ。

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鮎のみそ汁。

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ハイテンションなジュリアンが持つ大鋸(オガ)。オガクズのオガである。

暫く、山の老人たちの嘘と真ともつかないような武勇伝などを聴き、ともに酒を呑んだ。僕は持病の痛風があるので、嗜み程度である。普段は無口だが、酒好きのジュリアンはすっかり機嫌が良くなり饒舌になっている。

こうして夜になり、老人たちは帰途についた。あまった肉等は、そこら中に撒いておいたらケモノが食うから撒いとけと言われ、少々ゾッとしたのを覚えている。僕らはその日、炭小屋で寝ることになっていたからだ。

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べふ峡温泉にて。

炭小屋に風呂はないため県境のトンネルを越えた高知側(物部町別府)にある「べふ峡温泉」まで行き、帰って暫くしてら小屋の板間にジュリアンとジャンフィと川の字になって雑魚寝した。静まった夜半、ガサゴソ云う物音がした。猿なのか猪なのか分からないが、獣の気配が濃厚に漂ってくる。訪れとは、「音連れ」であるというが、やはり薄気味悪いものである。二人の寝息の中、闇を黙殺するように目を閉じた。

(翌日へつづく)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。