私×産土

コラム
2015.02.21

映画『産土』の制作は、愛地球博成果継承発展助成事業として、2012年から「森と共に生きる暮らし方探訪キャラバン」と銘打って始まった。

徳島県神山町にあるNPO法人グリーンバレーが主催となり、制作委員会が結成され、取材先の選定が進められた。

徳島大学の真田純子先生も、その委員会メンバーの一人だ。

映画第2作目の『産土 —壊—』では、先生が主催する石積みの技術を伝承するプロジェクト「石積み学校」を取材し、石積み名人の高開文雄さんを撮影させてもらった。

委員という立場から見ていた活動の様子を、ご自身の専門分野である景観工学や、「石積み学校」の取り組みと共に振り返っていただいた。
(敬称略)

産土との出会い

「森とともに生きる暮らし方探訪キャラバン」の映画が『産土』という名前になったのは、1年目の終わり、最初の映画が完成するころであった。それまでは「森とともに生きる暮らし方探訪キャラバン」という名前で活動を行っていた。この活動は、最初の2年間は月に1度の委員会を開催し、取材地や対象を見る視点の方向性などについて話し合っていた。わたしはここに委員長として関わらせていただいた。

なぜこの活動に私を参加させようと思ったのか、その真意はよく分からない。もちろん、私自身は参加出来てとても良かったと思っている。私は景観工学が専門で、工学部に所属している。一方、「森とともに生きる暮らし方探訪キャラバン」では当初から民俗学的なアプローチをもくろんでいて、そういった類いの本を参考に、取材地を探していたようだ。

「景観工学」という言葉を聞いたことのある人自体がそんなにいないと思うが、景観と聞けば、普通は街並みやデザインが思い浮かぶのではないだろうか。しかも、「工学」である。たしかに、街並みを研究対象にする人もいれば、橋やダムなど構造物のデザインをする人もいる。しかし「景観工学」には、景観論という分野もあり、そこでは人と環境との関係に着目し、研究のアプローチとして「人はどのように環境を認識し、手を加えてきたのか」ということを研究の対象とすることが多い。そうなると必然的に民俗学などとも近い分野になってくるのだ。私自身は、どちらかというと景観論の研究をしてきたため、民俗学的な分野にも関心が高かった。

ただ、そんなことはほとんど対外的には発表していなかったにも関わらず、私に声がかかり、しかもキャラバンでやろうとしていたことと私の興味は初めから一致していたのである。

キャラバンの月一回の委員会は、委員長という立場で参加させていただいたが、実際には、取材にあたっていた長岡さんの美しい映像や写真、取材先で出会った人々や出来事の報告を楽しみに通っていたようなものだ。一番初めに見ることのできる観客であった。

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吉野川市美郷で行われた石積みワークショップの光景。

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石積みの達人、高開文雄さんが積んだ石

森とともにある暮らしを読む

『産土』という映画で取り上げられたものには、「奇祭」と言われるようなものも含まれている。現在の私たちは、環境を分析する力を身につけている。それは、環境を「物質」の集合として客観的に捉え分析対象としているといえる。私たちと「共にあるもの」として捉えているというよりは、私たちの身体や行動とは切り離し、第三者的な視点で環境を見ていると言える。しかし、そうした学問が発達する前はどうだっただろうか。森など人々のまわりにある環境は、恵みを与えてくれる場所でありながら、ときに災害という形で脅威をもたらす。昔の人々は、そうした「得体の知れないもの」をなんとか理解しようとしていたと考えられる。その「理解」は今の私たちのように客観的に捉えるのではなく、「環境とどうつきあっていくか」という形であったと言える。それが、奇祭と言われるような儀式の原型になっている。すでにその「形」が整えられ、かなり儀式化されているものも多いが、その起こりを考えるなら、恵みを与えてくれるときに脅威にもなる環境との付き合い方を、どうルール化するか、という試行錯誤の形として読み解くことができる。

人類は学問を進化させ、環境を客観的に把握することができるようになり、それをもとに環境をどう管理するか、ということを考えている。しかしその「環境」は実際のところ「物質の循環」などで、そこに人間は含まれていない。昔の人の環境の把握の仕方は、今の我々から見ると原始的ではあるが、そこに暮らす人が含まれた状態で環境を把握しており、「管理の仕方」ではなく、「付き合い方」を見つけ出そうとしていたと言えるだろう。こうした見方で環境を捉えると、物質として環境を捉えた場合にこぼれ落ちる「環境と私たちの関係」が見えてくるのではないかと思っている。

『産土』の映画で各地の人々や儀式を取り上げたことは、忘れ去られようとしているそうした環境の見方を、もう一度私たちに意識させる重要なきっかけになるのではないかと思う。

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石積みと産土

2作目の『産土 —壊—』では、私が主催している「石積み学校」というプロジェクトを取り上げていただいた。農地をつくる空石積みの技術を伝承するプロジェクトである。実際に石積み擁壁の積み直しを通じて講習を行っているところと、指導者である石工さんを取材していただいた。

私が石積み学校を始めたのは、技術の継承をしなければいけない、という思いからである。それは技術が支えている棚田や段畑の風景がなくなっていくという危機感だけではなく、農山村に伝えられてきた石積みの技術そのものが一つの文化であること、その文化を伝えていかなければならない、という思いからであった。

石積みをするには、鉄で出来た槌(つち)である「玄翁(げんのう)」などの道具が必要である。この玄翁ひとつをとってみても、いろいろな知恵がつまっている。

たとえば、柄にする木は、製材したものでは無く枝を使うのが良い。なぜなら、製材したものは木目が斜めに通っている可能性があり、力がかかったときに折れやすいからである。一方枝をそのまま使えば、それ自体が自然に出来た一つの構造体となっており、強さが担保されている。その柄の付け替えは、冬に行う。空気が乾燥しもっとも木が収縮しているときに行えば、抜けにくいからである。

また、割る石の大きさによって、玄翁の大きさを選ぶ必要があるが、そのとき頭(鉄の部分)が大きな玄翁であれば、柄はしっかりしたものをつけたくなるのが心情である。しかし実際には、重い玄翁ほどしなる枝を柄に使う。これは石をたたいたときの振動をしなる枝に吸収させ、腕を痛めないようにするためである。

このように、道具や積み方それぞれに、経験によって把握されていた知恵が詰まっている。ただ農地を段々にするための壁をつくれば良い、というのではなく、その石を積むという行為そのものが文化なのである。

私が開催している石積み学校は、2014年1月現在ですでに参加者はのべ100人を越えている。また、石積みの技術をまとめた冊子は全国の希望者のもとに3,000部弱配布されている。

こうして技術の継承を少しずつ行っているが、2作目の『産土 —壊—』の取り組みでは、それとは異なる継承をすることが出来た。石工である高開文雄さんの技術を映像として残すことができたのである。石の置き方、割り方、文字や絵では表現できない熟練の技を後世に伝えられることが、何よりも嬉しい。いつか、石積み編として編集されることを心待ちにしている。(了)

<執筆者プロフィール>
真田 純子(さなだ じゅんこ)
広島県生まれ。徳島大学大学院助教。大学時代を東京で過ごした後、平成19年、徳島大学着任。徳島に来てから農村景観を研究対象にし、那賀町、佐那河内、三好市などで活動を行っている。平成25年から石積み学校を主催。専門は景観工学、都市計画史。

石積み学校 Facebookページ
https://www.facebook.com/ishizumischool

執筆者

真田純子
真田純子
広島県生まれ。徳島大学大学院助教。平成25年から石積み学校を主催。専門は景観工学、都市計画史。