雑木を伐ってはならない。

インタビュー
2015.02.21

徳島県那賀郡木頭村(現・那賀郡那賀町木頭)で生まれ育ち、80歳まで現役で林業に携わってこられた竹岡章(たけおかあきら)さん。子供たちを大学に行かせるため、またその腕を買われ、木頭村以外にも滋賀県や淡路島などのさまざまな地域で山師として活躍されてきた。

「膝さえ痛くなければ、まだ仕事ができる」と自信に満ちた竹岡さんは、81歳(取材当時)とは信じられないほど鍛え上げられた筋肉質な体だった。山で働き続けた彼の話には、不思議な説得力と重みが感じられた。

なぜ山がこれほどまでに荒れ、緑の砂漠と呼ばれるほどになってしまったのか。机上だけの論理から政策が作らた結果として、山が荒れていく過程を見続けた者として、今後の日本の林業に危機感をつのらせている。
(敬省略)

竹岡さんインタビュー映像(抜粋)

山で働いて66年

——今年(2012年)まで現役で林業をされていたそうですね。

竹岡:今年で終わりました。15歳のときからだから、もう81歳やけん、66年か。

15歳から仕事を始めて、ようやく認めてもらって大人と同じ賃金をもらったのが19歳じゃったの。19才で350円もらったのをよう覚えとるわ。昔は仕事をしよったらB-29がよう飛びよったわ。仕事は蝉谷(せみたに:竹岡さんの住む木頭の村。平家の落人伝説がある。)だけで十分あったんよ。

ただ、こっちで働きよっただけでは子供を大学やれんもんじゃけん、息子が大学行く4年間だけ、滋賀県の琵琶湖の造林公社ってところに行った。その後戻ってきてからだいぶおって、ちょっと仕事が途切れたときに土木の仕事しよったん。まったくやったことのない仕事じゃけん、それはちょっと苦労したわな。

そしたら滋賀で知り合った人が「ええ仕事があるけん来い」と誘ってくれて、淡路島に平成3年から十何年おりました。また戻ってきてからは、間伐という仕事が出てきたからそればっかしやって。

66年やったけんど、おかげさまで大きな怪我っちゅうこともなしに、山で事故に遭うたこともなしにやりました。若いときから親方連中にも好かれて、いっつもわしに賃盛りしてくれよった。膝が痛うなかったらまだやれるんじゃけんど。

——この(筋肉隆々な)肉体ですものね(笑)。

竹岡:いや、今はもう腹ばっかり出とるよ(笑)。

人に負けたと感じたことはない。

——木馬曳き(きんまひき)もされたんですか?

竹岡:木馬曳きもやりました。それに「堰出し」っちゅうてな、材木を川に段々にして堰き止めるんよ。ほいで下々へ流して運ぶん。そんな仕事もした。

林業の仕事は、この山でやる種類はほとんどやったな。一本乗りをやっとらんだけ。一本乗りをするのは那賀川じゃけん、この村(蝉谷)の人は山で木を伐って、那賀川に木を運ぶまでの仕事をしてたけんな。蝉谷でも一本乗りはやれるんじゃけんど、谷が狭く川が急流やけん、もし水に入ったら危ないんでの。

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堰出しの風景(写真提供:木頭支所)

——今まで林業をされてきて、一番大変だったことはどういうことですか?

竹岡:杉の木を伐っても、淡路の北淡町(ほくだんちょう)辺り高速道路の伐採でも、自分なりにじゃけんど仕事をこなしてきたけん、人に負けたって感じたことはなかった。それほど大変じゃったことって林業ではないんちゃうかい?わしは植え付けだけでも、100町歩(約100ヘクタール)、30万本やっとる。

——凄い量ですね。逆に楽しかったことは?

竹岡:そりゃあやっぱり、今まで自分が木を植えた山を見るのは一番楽しいの。だって自分が地ごしらえをして植えて、手入れして今大きくなっとるんじゃけえ。あっちもこっちも自分が植えたんじゃっちゅうんが一番楽しいな。自分の子供を育てるんといっしょ。やっぱり愛着があるわ。他人が植えたものより、自分が植えたんがかわいいっていうんかの。

まあけどやっぱり滋賀に行っとるときが良かったな。向こう行ったら、こっちの賃金の3倍じゃけんな。そやけんど県外へ出たら3倍はもらえんと絶対引き合わんの。2倍取れたんではあかんのよ。

——なぜ引き合わないんでしょう。

竹岡:家に戻ってきたり向うへ行ったりするのに、雑費っちゅうんがやっぱりかかる。向こうでも、家に送る分と子供のいる東京へ送る分、自分が食べる分と、三つせないかん。

——この木頭村にいるだけでは、それだけのお金は稼げなかったということですか?

竹岡:稼げんかった。昭和56年(1981年)当時、木頭におったら(月給)7,000円じゃったもん。向こう行ったら最低25,000円か30,000円。まあほとんど請負じゃけんどな。

それから、淡路島に行ったときはまだ良かったの。北淡町の高速道路、あっこの伐採をみな請け負うてやったけんな。あっこの仕事は滋賀よりおもしろかったな。

——ずっとチェーンソーではなく、斧で伐り出しをされていたんですか?

竹岡:うん、昔はな。滋賀に行ってからはほとんどチェーンソーよ。草刈機など、もう機械ばっかしじゃったけん。まあけど機械使いよってヒヤッとすることはあったな。

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なんであんな馬鹿なことするけんって思いよったな

——昔と違い、山が杉ばかりになり、保水力の低下が心配されることについてはどうお考えですか?

竹岡:このあたりでも、奥のほうに行ったら国有林のブナ林があって、そこは水がようけあるんよ。この下より上へ行ったほうが水があるような感じする。下へ下へ行くほど少のうなるようなの。

——それはなぜですか?

竹岡:温暖化によって水も蒸発しよるっていう話は聞いたんじゃけどな。それと川が埋まって砂の中を流れよる。ほなけん水が少ない。たしかにわしらの子供の時分よりも、川の水量が冬でも半分やもんな。

さっき話しよった材木の堰出しっちゅうの。冬やったら川の水量が少のうて堰出しができん。やっぱり針葉樹になってしもうたけんな、水が少なくなったからと思うんじゃけんど。けんどそりゃ、国策(拡大造林政策)でやっとるけんしょうがないもんな。

——最初はブナの林などの天然林がたくさんあったんですか?

竹岡:そりゃこのあたりでもようけあったでよ。昭和45年(1970年)ごろ、阿南市に神崎製紙(かつてあった大手製紙会社)ができて、あの時分にほとんど民有林の雑木(ざつぼく)は伐ってしもたもん。そいで杉に変えてしもたけんど。

——だいぶ風景が変わってしまったんですね。

竹岡:変わってしもた。木屋平(こやだいら:現・徳島県美馬市木屋平地区)のほうも、上までずっとほとんど雑木があったんじゃもん。で、いろいろな大手林業が来てな。大きなもんが買うてからに、そんで伐ってしもたわ。

滋賀を見てもそうやけどな。滋賀の琵琶湖に流れ込んどる支流を数えると、全部で260本ぐらいあるって言うたかな。その上流のブナとミズナラばっかりの林を、30年かけて全部伐ってしもたんやもん。そのかわりに杉の木のような針葉樹を植えても、保水力は上がらんじゃろ。なんであんな馬鹿なことするけんって思いよったな。

夏でも冬でも、とにかく山が青うなかったら水はでけんって、そう言うてな。雑木は冬に葉が落ちてしまうけん、保水力がないと言うての。ほれで雑木を全部伐ってしもうた。 (本来は、雑木の落とした葉が分解されふかふかの土となり、山の保水力が上がるということ)

そうするうちに琵琶湖の水位が80センチ下がってしもてな。昭和54年から58年(1979年から1983年)くらいやったかな。熊本や、徳島大学、広島大学の教授らが集まって、なぜ水が減ったのか大きな会議をした。京都新聞にも大きく書いてな。

「そりゃもうわかっとんやないか」と、わしらは言いよったんよ。こんだけの雑木林を全部伐ってしもうたら、水がなくなるのもあたりまえやないかと。それを大学の教授らが集まって「不思議だ不思議だ」言うてな。それで今も80cm下がった水位がそのままになっとんよ。その当時から増えんずく(まま)なんじゃ。

(編集部注:竹岡さんの言うようにミズナラの伐採が原因である可能性もあるが、一般的には、戦後に琵琶湖の水位が急速に低下した理由として、産業と暮らしの発展が影響したと言われている。昭和30~40年代(1950〜1970年代)の高度経済成長期に、大阪を中心とした下流域で一気に工場が進出し、水がより必要になったことや、豊かな暮らしとともに一般家庭でも急速に水需要が高まり、それまで利用していた地下水では対応しきれず、川の水の利用へと転換を迫られたため、琵琶湖の水が大量に求められるようになったと言われている。)

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御朱印谷山山頂の倒れていた巨木。

その後にヒノキを植えたんやけど、全部崩壊におうてまったく育てられんのよ。あとはカヤばっかり。また雑木も少しはできよるけんど、元に戻るには300~400年かかるわな。

あの当時わしは、机の上で計算ばっかしやりよる人は馬鹿なことするもんじゃ、と思ったな。公社の見回りの役人がよう来るけん、そういうこと言うたらな「おたくらが言うのも理屈じゃけんど、おまはんら(お前さんたち)もここへ来て結構なお金になるけんええやんか」と。そういう回答じゃもんの。

ほしたら淡路島もいっしょじゃった。淡路島内に、昔の明治時代とかそこらに作った人口のダムがあるんよ。その水がめの上流の雑木をみな伐ってしもうた。もう80歳、90歳になるあるおばあさんが言いよったわ。県のお方が来て「木を伐ってくれ」と言うて伐ってから、夕立が来たら水がドカーっと出てすぐに引いてしまうって。「とにかく水がなくなってしもた」って言いよったな。

ほやけん淡路と滋賀で仕事して、いかに雑木が水のためには大切かってことはよう分かったな。

——昨日、大雨が降ったために四ツ足峠(よつあしとうげ:徳島県と高知県の県境に位置する峠)のところで、崖が崩れたり水が噴き出したりしていたんですけど、昔もそういうことはありましたか?

竹岡:あんまりなかったな。最近は特に土砂崩れっちゅうんが多いわのう。

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妙な世の中になった

——これから未来の森や林業はどうなると思われますか?

竹岡:このままいったら林業はもう……。今年から間伐の補助金っちゅうのはまったくなくなったわねえ。それから収入間伐ちゅうて銭にする間伐に、去年まで五十何万円くれよった補助金が、20万円も減って35万円になったけんねぇ。

妙な世の中になったもんじゃと思うて。外材はどんどん入ってくるしの。なんであの外材を止めれんのじゃろうと思って。今は間伐してきれいにしよるけん「杉林」でおるけんど、おそらくこのままでは「杉薮」になってしまうんじゃないか。

このままでいきよったら、日本の林業はあかんのじゃないかと、わし心配しよる。わしらはもう仕事をようせんけんど、後のことを考えたら。自分も20ヘクタールくらい山をもっとるけんな。どうなるんかと思うけんど、どうなるんかやなしに、間伐の補助金くれれば手入れはできよるけん。

補助金がなくて間伐せんなったら、また山ん中が暗くなってしもうてな。密植しとるもんじゃけん、陽が当たり込めんじゃろ。そうするとなんぼ間伐しても、雑木が生えてこんなるけんな。いったん密植し過ぎたら、なんぼ間伐して陽を当ててもなかなか生えてこん。

——最初から間伐されていれば、雑木も生えてくるんですか?

竹岡:そうそう。雑木があったら冬になったら雑木の葉が落ちるけん、保水力も出てくるけんど。今は山が痩せてしもうて、土の粘りがない、サラサラと砂みたいになってる。このままやったら日本の林業は、おそらく潰れてしまうやろうな。

——どうすれば解決すると思われますか?

竹岡:そりゃやっぱり国から銭を出してもらって。銭だけ出すんじゃなしに、材木を売れるような方法を考えんといかんわのう。昭和20年から30年(1945年から1955年)ごろに売れたように、杉の木を伐って市場に持って行って、十分なお金になれば補助金はいらんのじゃけんな。

今までは補助金やるけんって補助金ばっかしじゃろ。日本の政治そのものが。ほうじゃなくて売れるように考えないかんわ。材木が売れたら補助金はいらんのじゃから。補助金に頼るばっかしでは、このままではいかんのよ。

今のところ、林業に対してはなんも展望が見えてこんもんな。まあそうかというて、わしら歳もいっとるけん後は知らんわ……ちゅうわけにもいかんけどの。(了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。