口で言うようにはいかない日々

インタビュー
2015.02.21

映画『産土』の第一部の後半、土砂崩れのあった高知県との県境付近のトンネルのそばに住まわれる田中祥太(よしたか)さん。

奈良に生まれ、大阪・滋賀県でサラリーマンとして働いていた彼は、体を使った山の仕事を求めて、2009年に徳島県木頭村(現・那賀郡那賀町木頭)に家族で移住した。いわゆるIターンである。

山仕事は奥が深く、年配の方々が簡単にしてしまうことの一々がむずかしく、真似ができないので、もっと早くに来ても良かったのではないかと思うこともあるが、ルーチンワークではない全身を使った日々、めまぐるしく変化していく自然相手の仕事に、生きている実感があるとも語ってくれた。
(敬省略)

田中さんインタビュー映像(抜粋)

都会からの移住

——(前日に降った大雨で土砂崩れがすぐそばであり)大変なときに来てしまって失礼しました。昨日の状況を聞かせてもらえますか?

田中:明け方近くまでは寝とったんでね。雷だけやと思とったんやけど、朝起きてびっくり、いう状態ですね。雷が鳴っとって、石が転がるような音はしとったんですけどね。まさかそんな、山がほぼ崩壊やないけど、それが家の裏でなっとるとは思わんかったんで。そやけど対処をしてくれるのが早いから、道はなんとか行けるやろう(大丈夫だろう)と思いますけど。

——裏山が崩壊してしまったようですが、今後も今のご自宅に住まわれるご予定ですか?

田中:それはもう、犬もおるし、あそこに住むと自分の中では考えてますけど。周りも気にせんでええし、ええ場所なんでね。理想をいえばもうちょっと国道から中へ入り込んだ場所だったら、良かったんだけど。真横だとあまりにも車がバンバン通りますんでね。

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高知県都の県境である四足峠トンネル付近。前日の大雨により、甚大な土砂災害に。

——田中さんはこちらにこられてから何年くらいになるんですか?

田中:今年の3月で三年目に入ったんですかね。

——林業しに来られたんですか?

田中:林業というか、山の仕事。体を活かす仕事がしたかったんでね、頭がない分からだを使って(笑)。「山の仕事ナメてんのか」って怒られそうですけど、なんか生きてる実感があるでしょ、それがしたかった。

——三年前こちらに来られるまでは、どちらにおられたんですか?

田中:滋賀県におったです。奈良県で生まれて、高校を出て就職で大阪へ出て、5~6年おったんですかね。そこから滋賀県へ行って、その後こっちへ来ました。滋賀県がちょっと長かったですかね、10年……もうちょっとですかね。

——滋賀県でも林業をされてたんですか?

田中:いや、滋賀県では普通のサラリーマンで工場勤めですね。田舎に住みたいという願望はあったんですけどなかなか。ここらへんでも、家は空いてるけど貸すのはちょっととか、どこに身内の人がいてはるか分からへんとか、そういう状況やったんで、仕事として探すというても家があらへんから。もうこっちでいろんなとこ探したらええわとウロウロして、結局ここですね。

——念願の山の仕事を三年間やってこられて、どうですか? 木の種類がわからないなんて話されてましたけど。

田中:木の種類はまだまだわからんですね。今、山に生えてる木を見たって、スギとヒノキは識別できるようになったけど、これはカシの木やとか言われても。あと肌が負けるウルシとかね、あんなんもはっきり認識してないし、まだまだ勉強ですね。

——架線を張るお仕事もされてるんですか?

田中:いやいや、ぼくはもっぱら山を歩くのばっかりで、測量がほとんどですね。架線の仕事もしたいですけど、年齢的なもんもあるし。もうこれはやっぱり危ないって、危険が伴うんで、簡単にはさせてもらえないですね。

まあけど、みなさん長いこと山を見てきてはるから、それが本音やと思いますけどね。実際のとこ、木も余ってんのか売れへんのか、体張って仕事して、せっかく山から出してきても、持って行くとこや使い道がなかったら、もったいないだけで意味ないですからね。

それやったらもうちょっと山の手入れして、昔の山に近い状態に戻したほうが自然災害も減るやろうし、ええんじゃないかなとは思います。山の場所にもよりますけど、ほんまに杉の木は半分でもええくらいやと思いますね。伐れん場所もあるやろうけど、3割くらい間伐するとか。

伐ったら伐った分、上の空間が空くからねえ。下層植生っちゅうんですかねえ、(陽の光が当たって)下のほうに草が生えてきたら、山自体ががしっかりしてくるやろうというので、そっちのほうが良いんじゃないかなあと思いますけどね。

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なかなか真似もでけへん

——周りにおられる、山に生きてきたベテランの方たちに実際に接してみて、驚かされたことはどういったことがありましたか?

田中:なんでも自分で手作りされますよね。「昔はこうやってやってたんじゃ」とか言うて見せてくれはるけど、実際には同じことはできないですからね。「ああそうなんや」って感心することは多いですね。なかなか真似もでけへんし。けい兄(大城慶太郎さん)やったら手作りでヤスリからナイフとか作らはりますけど、あんなんもう真似してやってみたけどできないですね。

——真似されてみたんですね。

田中:はい。こっちに来て最初に、マイナイフを作ってみようと思って真似して作りましたけど、そら簡単に口で言うようにはいかんです。炭焼き自体も一からやったしね。焼きあがった炭を見て「これはカシや」とか、いろんなこと言うて教えてくれはるんですけど、どこで見分けてはるんかわからへんしね。なかなかできないですね。

——狩りはされるんですか?

田中:してみたいんですけど、なかなかその機会がなくて。あれも講習受けてせないかんし、狩りをするにも鉄砲の資格を取らなあかんし、なかなか簡単には資格をくれないみたいやし。

鉄砲を持ったら持ったでまた管理もあるやろうし、おまわりさんが結構厳しいみたいなんで。ちょっと自分のなかで余裕ができたら、趣味やないけど、やってみたいというのはありますね。

マタギのように狩りで生計が立てられるいうことはまずないやろうし、とりあえずは山の仕事をメインでもうちょっとして、それからうまい具合にできたら猟もしてみたいですね。犬はもう飼うてるんでね(笑)

——先日炭焼きの集まりで、ご自身もシカの解体をされていましたけど、初めて見られたときはどう思われましたか?

田中:来て三日目に初めて解体に出くわして、最初……、ええんかなぁと思って。ぼく、生まれが奈良やったから奈良公園はシカがようけいてますからね(笑)。鳥獣駆除でというのはわかるんですけど、食べてええのかどうか。

そりゃあ生き物やし、殺してそれだけやったらちょっとかわいそうというのもあるし。食べて供養というのは、昔からこのへんの習わしというか生活の仕方やと思うんで、勉強にはなりましたけどね。そやけど「ちょっとやってみい」といきなり言われても、なかなか触ることはできなかったですね。もう死んどるとわかっとっても、最初は触るのを躊躇しましたね。

——すごい普通にやられていたように感じましたが。

田中:もうある程度は慣れてきましたね。何回かはああいう解体する場にいるので。ちょっと子供には見ささんほうがええやろ、と思いましたけど。でもああやって食べることで供養するというのは、人間の勝手かもしれへんけど、それはそれでねええことやと思いますね。

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生きる実感を求めて

——木頭村も少子高齢化、限界集落のような形になっていますが、Iターンってそこからの未来を見ていかなくてはならないと思うんですが、いかがですか?

田中:ある意味、来るのが遅かったと思うことが自分の中にありますね。まだ来て三年やけど、高校出てすぐでもよかったんちゃうかなって。そしたらもっといろんなことを吸収できたと思うし。

今はもう亡くなられた方でも、もっと知恵を持っている方がいてたと思うんでね。自分の年齢的な面も考えると、ちょっと無駄な時間を街で過ごしたかなみたいなのはありますね。

——山に生まれ育てば、街に出たいという欲望も出てくるかもしれないですし、むずかしいですよね。

田中:どうですかね。自分の場合、体を動かして疲れきって、というような仕事をしたかったというのがあったんでね。街は機械化が進み過ぎてねえ。いやそりゃ山で木を伐るのも、みんなチェーンソーになっとるがなと言われたら、それはありますけど。

それでもやっぱり山を歩いて上あがるとか、降りたら降りたで今度、家に帰るのにまた登っていかなあかんし、山を歩くだけでも結構こたえますもんね。ほやけど生きてる実感はすごいありますよね。体もちょっと絞れましたもんね。なんかいらんもんが取れたような。

——以前はもっと体つきが良かったんですか?

田中:そうですね。こっちに来たときは90kg超えくらいありましたからね。今は70kgなかばくらいやから、ゲソっと落ちました。冗談で「病気違うかあ、死によるん違うかあ」って、仕事してたら言うてくれはる人おるんですけど、「いらんもん取れたんちゃいます?」って笑ってます。

ほんまに山はしんどいというのはあるけど、毎日がおもしろいですね。街はあれやってこれやってって同じサイクルで流れとるけど、山は毎日違いますもんね。

——お二人のお嬢さんのうち、下のお嬢さんだけいっしょに移住されてきたと伺いましたが。

田中:うん、小学校6年生からこっちで。

——こちらには溶け込まれている様子ですか?

田中:溶け込んでるというか、もうこっちの喋り方になってきて、関西弁がだいぶ消えてますね。ぼくもなんかポッとしたときにこっちの喋り方が出ますからねえ。長いこと向こうに戻ってないんで、 向こうの人間と喋ってみないと分からないですけど。

娘はうまいこと友達ができて、ただ住んでるところがほかの子供らと離れてるから、学校が終わってから遊ぶような機会が少ないのが、ちょっと可愛そうかなって思いはありますね。

ただ、土曜日や日曜日にイベントで山村留学があって、街から来る子供たちといっしょに遊んだりというのはあるから、まあそのへんは良かったなあとは思うんですけど。

これから高校へ入ったら、寮に入ったり下宿したりになって親元離れて、まあそれもええ経験かなとは思ってます。

——お嬢さんの通われている中学校までは、家から結構な距離がありますね。

田中:そうですね。まあでもバスでの往復なんで、通学自体は問題ないですけど。

ぼくらの子供のころと比べたら、通学に時間がかかるのと、学校のクラブ活動で、どうしても家帰ってくる時間が遅いですよね。自分の余暇やないけど、自由時間が少なくて、もうちょっと遊ばしたってもええんちゃうんかなあとは思うんですよね。勉強勉強で可哀想な気がしてね。

——山で遊べる最高の環境なのに。

田中:ですよね。もうちょっとこう、時間の自由がきいたらええんですけど。ぼくも山の仕事は雨が降ったら行かれへんとかで、一週間のうち土日しか晴れんかったら土日が仕事になって、子供といっしょにおる時間が不規則になるんでねえ。

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——雨が降った日は何をして過ごされるんですか?

田中:家の補修をしたり畑をやったり、風呂の薪を割ったりとかね。あと家主のおばあちゃんとこの畑を手伝ったりとか。

——じゃあやっぱり休む暇はないんですね。

田中:休む暇がないというか、楽しいですよね。嫌々やるんじゃなくて、それもみな経験やというのがあるんかな。自分の中では割り切れてますね。

——自発的にやっているということなんでしょうか?

田中:何かすることないかって催促するんやなくて「何してんのー?」と覗きに行く感じはありますね。山の仕事をしてはる人が、雨になったら家でどうしてはるのか覗きに行ってみたい、というのはあるんですけどね。雨降ったら自分とこの仕事もせなあかんから、なかなかよそまで覗きに行かないだけで。

晴れが続いても、家の屋根塗らなあかんとか言わはる人もおるし、畑をせなアカンとか、ゆずの収穫の時期になれば剪定せなあかん、採らなあかん、と休まれる人もおるし。山のことだけやなくて、いろんなことをしてはる人は多いですね。

——これからも林業を続けられると思いますが、どういう目標を持っておられますか?

田中:そりゃあやっぱり、一人前に山で木を伐れるようになりたいですね。「山をまともに歩けんのにチェーンソー持ったら余計危ない」って言われるんでね。

だけど子供のころ鉛筆を削るときによく言われたように、その度合いにもよるんでしょうけど、やっぱり怪我して覚えていくんと違うかなと思うんで。

——みなさんも過去に大きな怪我をされているようですね。

田中:はいはい、みなさんありますね。ぼくに関して言えば、大きな怪我っていうのはまだないですね。山を歩いとって、いけると思って石の上に足置いたら石ごと滑った、というのはちょこちょこありますけど。それでも擦り傷程度で、骨が折れたり大きい怪我はないですね。

チェーンソーを持つようになったら怖いかもしれないですね。伐った木が自分の思ったほうへ倒れてくれたらええけど、自分のほうへ来たときには慌てなあかんしねえ。そんなんも、やっぱり伐って経験を積まんとわからんことやし。

今からまだまだですね。明日のことは分からんから、怪我のないように仕事はしていきたいと思いますけど。(了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。