丸太に乗るイギリス人

インタビュー
2015.02.21

徳島県木頭村(現・徳島県那賀郡那賀町木頭)では、かつて那賀川の水流を利用して木材を運搬していた。その運搬の花形的役割として、「一本乗り」と呼ばれる方法があった。

木材運搬の形態が車に変わり、姿を消してしまった「一本乗り」だが、昔の姿を後世に伝えようと有志により「木頭杉一本乗り保存会」が結成され、講習会や大会を定期的に開催している。

保存会メンバーの一人で、かつてALT(外国語指導助手)として木頭村に暮らしていたマーク・フェネリーさん(現在は四国大学勤務)に、一本乗りや木頭の魅力について伺った。
(敬省略)

マークさんインタビュー映像(抜粋)

「よそもの」だから見えたもの

——日本に来られて何年目くらいなんですか?

マーク:1990年にALT(外国語指導助手)として日本に来たのが初めてです。22歳から35歳くらいまでずっとこの村で生活をしていました。最近は徳島市内に暮らしてます。

——最初はカルチャーショックがあったんじゃないですか?

マーク:そうですね。徳島に着いて、迎えに来られた方と車に乗って木頭まで来るのに、3時間くらいかかったんですね。どこまで行くんだろうなあと心配しながら来て、だんだんとクネクネの道を越えたら、このきれいな村に着いたんですけど。

実際は思っていたより店もあり、人も住んでいましたので、距離ほど何もなかったわけではなかったけど、最初はちょっとびっくりしました。もともと街に生まれたんで、田舎は好きやけど住んだことはなかったからね。

——住まわれてみて、どんなことに一番驚きましたか?

マーク:とにかくみんながお互いを知っていることですよね。「マーク、どこ行きよん?」と、毎日のように挨拶されたりとか。とにかく困ったことがあったら、自分が頼みに行く前に「困ってるって聞いたけど大丈夫?」と親切な人が来てくれて。

外国人だからとかじゃなくて、単純に地域の人だからっていう、すごく温かい感じですね。でも、風邪をひいたりしてたら、訪ねてくる人がすごく多くてなかなか寝ることができませんけど(笑)。心配して次から次へと家に駆けつけてくれて。

特に一本乗りをやり出してからは、地元の年輩のお友だちが「明日釣り行くけん、行くか?」とか「ユズ採りに行くけん、いっしょに行くか?」と声をかけてくれたりとか。外から来た人間としては、普通に接してくれてすごくありがたかったですね。

interview_010106_p02

逆に、徳島市内のほうが外国人として扱われることが多いんです。ここではあんまりそういうことはなく、悪いことをしたら怒られたり、普通に接してくれる。困っていれば自然に助けにいく。そういうコミュニティの一員としてあったことが、今住む徳島市内ではないことですので、それがすごく寂しい。

たとえば木頭では買い物に行くと、買い物自体は1分で済むんですけど、ある程度覚悟して買い物に行かないと、そこでのおしゃべりが30分くらいついてくるんです。でも今は、徳島市内のスーパーやコンビニで、1分で買い物を済ませて帰ってこれてしまえるのがなんか寂しい。

ただこういうところに住んでいると、いろんな問題があるわけね。たとえばこのごろだったら、人口が減って仕事がなかったりとか、大きな病院がなかったりとか、そういうことはちょっと心配とはみんな言いますけど。でも、できたらこういうところに住めたら、一番幸せに暮らせるんじゃないかと思います。

——マークさんは、木頭弁は話すことができるんですか?

マーク:どうだろう? 意識しないと……お酒が入っとったらいけるかも(笑)。しばらくおっちゃんたちとおったら普通にそうなる。「てんご、てんご」とかね。

——「てんご」ってなんでしょうか?

マーク:「役に立たないこと」を「てんご」って。腐ったてんごの皮とか。大学に初めて勤務で行ったときに「おい、テンゴすんな」って学生に言ったら、「先生、てんごってなんですか?」って(笑)。

——それはもう、みんなに伝わるもんだと思って(笑)。

マーク:「てんご」が阿波弁って全然知らなくてしゃべりよったけんねえ。ほかにも「汽車」は「トレイン」っていう意味と思っとって、大阪に行ったとき「次の汽車何時や?」って訊いたら「ここ汽車ないよ」と言われて「エッ!?」って(笑)。

——普通は「汽車」じゃなくて「電車」ですもんね。

徳島県では汽車が走っており、日本で唯一電車のない県である。

一本乗りは「イケメン」の仕事

——一本乗りは何年くらい前からやられてたんですか?

マーク:来た当時、1990年(平成2年)ぐらいに「木頭杉一本乗り大会」はもうすでにありましたので、体験する程度はやりました。それから3〜4年ぐらい経って、一本乗りの保存会の方といっしょに練習を重ねていたら、「保存会員になるか?」と誘っていただいて「喜んで」と。

こっちに住んどったときは、小中学生に指導する場面もありまして、週によっては毎日のように丸太に乗ることもありました。今は徳島市内から2時間かけて練習に来てますけど、前みたいに毎日は乗れないのが寂しいですね。

——一本乗りとはどういうものだと考えておられますか?

マーク:じいちゃんたちが若いときの、このへんの林業がすごい盛んだったときの、かっこいい仕事。一番「イケメン」の人がやるような作業だった、と聞いています。そういうものがなくなっていくのは寂しいと保存会を作られたんですが、こういう保存会が、村と林業が元気だった時代とのつながりでもあるから。

じいちゃんたちがこの歳になって、木に乗ってホントにいいのか? って心配なんですけど(笑)。イキイキと一本乗りをやって、生きがいになってるんじゃないかと思いますね。じいちゃんたちは今の若者よりよっぽど元気です。それを学んで、元気にいっしょにやりたいと思っています。

interview_010106_p03
interview_010106_p04

那賀川での一本乗り風景(上下写真とも、中野健吉『ぬくいぜんか』より)

——一本乗り大会に来られている方々は、地元の若い人たちより、よそから来られる方が多いんですか?

マーク:そうですね。地元の人はどっちかといえば、お世話係りの人が多い。役場やそういう関係の仕事をする人、あとは、保存会にぽつぽつと若い人はおりますけど。

やっぱりこういうところで暮らしている若者は、街に憧れて、週末になると街に遊びに行くっていうのが昔からあるんで。外から来てる者ほど、田舎の良さがよくわかってる。

木頭はほかの徳島県内の上勝や神山(移住者が比較的多い場所)と違って、街から遠くアクセスがすごくしづらい場所でありまして。だからここで暮らすのは神山とか上勝と比べたら、もうちょっと苦しいかと思うんですよね。

だからといって若者がみんな街に流れてしまったら、病院とか学校とか困ってしまうので、ぜひ流れを止めて、若いもんがまだいるうちに、ここで暮らせるように、国でも政策してほしいなと思うけどね。特に那賀町との合併後には若者がみんな街に流れてしまいました。仕事がないもんで。

——合併後にそうなったんですか?

マーク:そうですね。合併されたことで役場が村からなくなって、役場と林業と農協がここから1時間も離れた場所に移ったんで。役場に就職した若者も結構おったし、農協もそうやし、林業もそうやし。それが全部合併されると、ここから毎日1時間かけて車で通うのは大変ですしね。若者が就く仕事がとにかく無い、それが大きな問題ですね。さっき林業の話でも出ましたけど、みんなが林業で働けたらもっと活気が出るんじゃないかなとは思う。

宝物がなくなる前に

——林業が下火で木が売れないとか、いろんな問題があると思うんですけど、そのあたりについてどう思われますか?

マーク:日本は安い木をたくさん海外から買ってると、林業について書かれた本で以前読んだことがあるんだけど、砂漠化していく国から安い木を買って、そしてその砂漠化している国を支援する、というやり方がおかしくて。

日本はこれだけ緑の山がたくさんある、きれいな木もたくさんある、木頭杉のようなブランド品と言われるくらいの木もある。それを活かす方法があったらいいなあと。

こんな山奥にあるところが、昔は林業でみんな飯を食ってましたから。林業さえ元気だったら、こういう山奥が寂れることなく、みなさんが仕事のある生活を続けて暮らしていけるんですけどね。日本の林業はどうにかならんかなあって思ったりもしますね。

——取材した方々の話を伺っていると、林業の仕事って相当危険なものなのだと、初めてわかったところもありました。

マーク:ああ、そうですね。危ないとは思います。でも、それこそ知識のある人間がいるうちに、次の世代に伝えられるように、と思いますね。

たまに外から林業の仕事に憧れて来る方がいますけど、だいたい一回くらいは危ない目に遭うみたい。一本乗りに関わった人でも、山で命を落とした人もいますけどね。うーん、危ない仕事ですからね。

たまたまなんですけど、わたしの奥さんのお母さんが木頭出身で、おばあちゃんが山を持っていて、国の政策(※拡大造林政策)で自分の財産を使って杉をいっぱい植えたんですね。ここのみなさんそうですけど、雑木を伐って、杉をいっぱい植えた。それは全部お金にならず、損したっていう話はよく聞いていますけど。

次の時代にこの村が残るんであれば、林業かユズしかないんだろうなあっていうのは思うんですよね。もうそろそろ何かしないと手遅れになりますよね。

interview_010106_p05

以前この村に「教育の日」というのがありまして、その日に有名な人を呼んで、講演会をしてもらうんです。一度オスマン・サンコンさんがいらして「一人のお年寄りが、一つの図書館みたいなもの」っておっしゃていました。

この村のお年寄りの持っている、「山に生きる技術や知識」はすごく宝物なんです。みなさんもうお歳ですから、次の世代に伝える時期は今しかないんじゃないかなっていうのはすごく思ってます。だからわたしも積極的に、一本乗りから離れないで継続している。もっと若い人が来て欲しいっていうのが本音ですけど。

わたしはこの田舎が、この木頭村が大好きなんですけど、そこにいる村民が気づいていない良さもたくさんあるので、外から来た人から見た「村の良さ」、その声が村民に届くようになって欲しいなと思います。

まだ元気があるうちに、本当に今から10年以内に何か行動を起こさなければ、みんな歳がいき過ぎて、いろんなことがなくなっていくような、危機感のある環境だと思います。この10年間のうちにもっと若い人が増えるようになっていってほしいなと思います。(了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。