いかに故郷に目を向けてもらえるか。

インタビュー
2015.06.25

山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた山梨県南巨摩郡早川町(みなみこまぐんはやかわちょう)に、2006年設立された「日本上流文化圏研究所(以下、上流研)」は、山の暮らしの価値を伝えて地域の担い手を育て、さまざまな課題を解決に導くことを主な目的に活動しているNPO法人だ。

「上流研」理事兼事務局長の鞍打大輔さんは、大学生のころから早川町に出入りするようになり、この場所に惹かれ移り住むことを決めたという。

1人のIターン、そして研究者という立場から見た早川町の風土と魅力について、それを守って行くための活動について伺った。
(敬称略)

純粋な気持ちが、まだ残っている。

——こちらに来られて何年くらいになりますか?

鞍打:一番最初に早川に来たのは1996年、大学4年生のときですね。それから3年間大学と早川町を行ったり来たりしながらいろいろ関わらせていただいて、実際に住み始めたのは1999年からです。

——住もうと思ったきっかけは、なにかあったのでしょうか?

鞍打:きっかけはいろいろあるんですけど、まずは今働いている「上流研」という組織を、もう少しなんとかしたいという思いがあったという部分と、自分自身が都会よりも田舎で暮らしてみたいという思いが強かった、というところだと思います。

——「上流研」では、この辺りの土俗文化などを研究されているんですか?

鞍打:そうですね。基本的には、早川町の自然の中で培われた生活文化を掘り起こして、それを町民といっしょに守っていくことと、それを活かした地域づくりに結びつけていくのが仕事ですね。

地域の生活文化の聞き取りや掘り起こしなどをまとめて、さまざまな形で情報発信していこうという取り組みがベースにあります。

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早川町は「日本で最も美しい村」連合に加盟している。

——早川はどういう町ですか?

鞍打:富士川の主流に早川という川がありまして、昔から「早川入り」という言われ方をしたんですけども、山の中でもさらに入り組んだ谷間の地域だということで、山梨県内の中でもかなり秘境といいますか、山奥というイメージが強い地域だと思います。

もともと田んぼができるような、平らな広い土地が少ないということで、ムギとかソバとか雑穀類なんかを作って、半分自給自足に近い暮らしをしてきたというところで、いわゆる農村ともまた暮らしが違うということは感じていますね。

——日本一標高の高い町という話を耳にしたんですが、本当でしょうか?

鞍打:いや、そんなことはないですね。でも一番高いところが3,000メートルを超えていて、日本で4番目に高い間ノ岳(あいのだけ:標高3,189・5メートル)というところがあります。

実際に人が住んでいるのは、高くても950メートルくらいですので、全国的に見れば、もっと高いところに住んでる地域はあると思います。

——こちらの稲又(いなまた)集落や昨日伺った茂倉(もぐら)など、秘境中の秘境という印象でした。一方で過疎化が進んでいると思うのですがいかがですか?

鞍打:本当に毎年集落の人口は減っています。最初会ったころはお元気だった方が、お年寄りになられて、亡くなられた方も何人もいますし、そういう中で寂しくなっているのはあります。

ただ逆に、都会や地域の外から、早川の暮らしに魅力を感じて移り住む方も若干ですが増えつつあって、寂しい思いをすると同時に、これからの早川に関して、少しずつ可能性を感じることができてきたかなと思っています。

こういう秘境というか山の中に来れば来るほど、昔ながらの生活文化が残っていて、人々の気持ちも都会化していないというか、すごく純粋なんですね。

ぼくらが行くといろいろもてなしてくれたり、そういった大切な気持ちがすごく残っている場所だと思うんで、なかなかむずかしいことではありますが、できる限り残していければと思っています。

わたし自身が残したいと思っていても、地域の住民の方々が最終的に判断することだと思うんで、残していきたいと結論が出るように、ぼくらも働きかけたり、できることはやっていきたいですね。

——廃村になって移住になった集落などは、早川にもありますか?

鞍打:強制的に廃村にして、ほかの場所に移り住んでもらうという施策をやっているところはないんじゃないですかね。実際に住む人がいなくなって、という集落はぽつぽつと出てきてますし、これからどんどん増えていくとは思いますが。

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鞍打大輔さん

少しでも早川人に近づきたい

——ほかの地域と比べて、まったく違うところ、早川町の特色はありますか?

鞍打:とにかく早川の人たちは生活に関わることを、自分たちでこなす技術や知恵みたいなものがすごくあって、畑や台所などいろんな場で、おじいちゃんおばあちゃんたちの生活の中から年中見ることができるので、すごくおもしろいですよね。

ぼくは都会で生まれ育ちましたけど、そういったものは都会ではなかなか見ることができませんでした。自分のおじいちゃんおばあちゃんからも、習ったことがないようなことも多いです。

——「雨乞い」を再現してもらった茂倉のおばあちゃんたちが、あまりに明るくて面食らいました。どこの集落もあんな雰囲気なんでしょうか。

鞍打:すごい元気でしょ。でも茂倉は特殊かもしれませんね。ほかの集落と離れた場所にありますし、昔からみんなで結束して暮らしてきたという歴史があるんで、すごく元気なんですね。集まればお茶飲んで笑い話が絶えないという、昔話に花が咲いてっていうね。面白いですよね。

——いやあ、ちょっと、こんなところがまだあるんだなと。

鞍打:喜んで「雨乞い」やってくれました?

——ノリノリでしたね(笑)。

鞍打:それは良かった(笑)。

——2~3人くらいで「雨乞い」の再現をしてもらえると思っていたのですが、たぶん、集落中総出みたいでした。

鞍打:最終的に集落全戸に声をかけることになったみたいで、「そこまでしなくてもいいですよ」と言ったんですが、気遣いというかね。茂倉はああいうノリが好きな集落でおもしろいですよね。

——早川町の強みと、解決していきたい取り組むべき課題と、それぞれどういったことだとお考えでしょうか。

鞍打:早川町の強みは、圧倒的な自然というか、これだけ迫力のある自然というのはなかなかないので、いかに美しく守っていくか、管理していくかが一つのポイントになると思います。

また、おじいちゃんおばあちゃんたちがずっと受け継いできた、暮らしのさまざまな文化についても見直されていますので、そういったものも大切に守っていきたいと思っております。

課題としては、やっぱり担い手がなかなかおりませんので、外に出て行かれた早川出身の方々に、いかに故郷へ目を向けてもらうか。

地域で話し合って、直接早川とは関係ない方々にも、興味や関心を持っていただき、そういった方々を受け入れる体制作りをしておかないとと思っています。でないと、やっぱりなかなか、守りたいものも守っていけないと思うので。

いろいろむずかしいことを言いましたけど、自分自身がここでおじいちゃんおばあちゃんたちからいろんなことを学んで、少しでも早川人に近づけるようになれたらなと思ってます。(了)

鞍打大輔さん執筆のコラム記事はこちら

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。