陸の孤島の温泉宿

インタビュー
2015.06.25

山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた山梨県南巨摩郡早川町は、温泉の里として有名である。

町の中心地から、いくつものトンネルを抜けていくと、「世界最古の旅館」とのギネス認定を受けている西山温泉慶雲館(創業西暦705年)がある。さらに道を北に進んだ先に奈良田集落があり、ここにも歴史の古い温泉があった。

奈良田という名前は、孝謙天皇が山間の地を「真に奈良である」と評したエピソードから来るともいわれている。

トンネルのない時代は、「陸の孤島」とも言われていたほど、外界との交流が取りにくい立地であったため、独特の文化・風習が残ったといわれる奈良田であるが、昭和32年(1957年)にダムができ、温泉の歴史は途絶えた。

しかしその後、有志が温泉を復活させようと、ダムの下に沈んだ源泉を掘りあて温泉が復活し、現在まで続いている。

冬場は猟もされているという奈良田の温泉宿「白根館」館主・深沢守さんに、温泉の歴史やダムに沈んだ奈良田集落について、そして深刻な獣害について伺った。
(敬称略)

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白根館の温泉

50年前に復活した

——深沢さんは、ここ、奈良田で生まれ育ったのでしょうか?

深沢:はい。ここで生まれ育って、こんな山奥なんでしばらくは外へ出ていましたけど。この辺の子供はみんな高校は通えませんので、高校生になるとみんな甲府方面に出ていくんですよ。下宿したり親戚の家を頼ったりして。

その後しばらく外で仕事してましたけど、25歳のときに長男が生まれて、今までこんな山奥で育ったもんですから、どうも都会の生活に馴染みませんで戻ってきました。

——こちらの温泉は「七不思議の湯」ということなんですが、どういった温泉なんですか?

深沢:効能がいっぱいあるんですよ。それでいろんな呼び名がついて、効能が七つあるということで総称して「七不思議の湯」と言います。

お風呂が七つがあるんじゃないかと、勘違いするお客さんも結構いらっしゃいますけどね。温泉のほかに、ここには「奈良田の七不思議」ってのがあるんですよ。それもちょっと影響しているでしょうね。

奈良田の七不思議の中に、「奈良田の洗濯池」ってのがあったんです。ここは寒いところですから、冬場は氷点下15度以下、20度近くまで下がることもある。そうするとね、洗濯するんだってみんな水が凍っちゃうでしょ。それぐらい寒いんです。

だからみんな自宅で洗濯できないもんで、温泉の涌いている洗濯池に行って洗濯したわけですよ。それで通り名が「洗濯池」ってなっちゃったわけです。

——こちらの温泉はいつごろできたのですか?

深沢:「陸の孤島」なんて言われたり、「日本十大秘境の一つ」なんて言われたり。いろんな呼び方をされて、外の交流もあんまりないところだったんですよね。

昭和32年に西山ダム(奈良田湖)ができたんですが、さきほどの「洗濯池」がダムに沈むことになっちゃったんですね。

わたしの親や地元の人らが、それじゃもったいないからと、洗濯池めがけてボーリングに挑戦したんです。それがうまくいって温泉が出て、それから商売をはじめたもんですから、歴史としては今年(2012年)でちょうど創業50年になります。

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隠密村説もある、独自の文化

——「森と共に暮らす」をテーマに、ぼくらは今まで全国5ヶ所を回っているんですが、このテーマを聞いて、奈良田で考えられることは、どういったことがあるでしょうか。

深沢:いっぱいありますねえ。子供のころには気付かなかった、奈良田のさまざまな文化などが見えてくるようになりまして。生活様式や方言、あるいは狩猟ですね。民謡だったり年中行事だったり。

ここには数え切れないくらい大勢の方が、いろんな調査で来られるんですよ。ずっと陸の孤島なんて言われていたぐらい、外との交流があまりなく、古いものが古い姿のまま残ったというか。

たとえば民謡一つあげても、時代の波に流されてどうしても変化せざるを得ない状況があると思うんですが、ここはまったく古いまま残っているんですね。そういうところが専門家の方の目に非常に留まるわけですよね。

方言にしてもしかりです。関東地域なのに関西系のアクセントということで、方言研究の方もいっぱい見えるんですよ。そんなことで自分の生まれたこの奈良田にすごい興味がありますし、いろいろ調べたり、山の生活についても実際に山を歩いてみたりいろいろ挑戦しています。

——たとえば方言ってどういう感じなんですか?

深沢:もうめちゃくちゃ。わたし自身もねえ、全部はわからないですよね。言葉も違うんですけど、アクセントがまったく違うんですよ。ここの人独特の言い回しがあってねえ。

たとえば「ファンタ」っていうジュースがあるじゃないですか。ここの人は「ファンタ」って言えないんですよ。「フアンタ」って言うんですよ。全員がです。言えないです。「ファ」っていう発音ができないんです。おもしろいでしょう(笑)。

あと「謡(うたい)」が残っているのが一番の特徴だとは思うんですけど。謡曲(ようきょく)ですね。「能」は残ってないですけど、「謡(うたい)」だけはいまだに歌いつがれています。しかも関東では非常に少ない宝生流(ほうしょうりゅう:能楽の諸役のうち、シテ方の流儀の一つ。観世流に次ぐ第二の規模を誇る。)なもんですから、ちょっと珍しいかなあというとこですね。

武田信玄の時代にも、ここは一軍一村と、諸役免除と言いまして税金を免除されたんですね。当時の名主さんのお宅に、武田信玄のご朱印が付いた古文書が残っていまして。それについても研究に来る方がいっぱいるんですよね。

わたしとも何回も激論を交わしている、しょっちゅう奈良田に来られていた甲府の作家の方が、民謡や年中行事やいろんな方言などを調べておられて、奈良田は武田信玄の隠密村だったんじゃないかという仮説を立てたんです。

戦国時代に他国へスパイに行くのに、奈良田の人と言葉が通じないわけですよ。甲州弁とはまた全然違うんで見破られない。

奈良田の今の集落は昔は全部畑で、ダムができて、そのときに古い家を壊して移転して来たんですね。当時わたしはまだ子供で、建物を壊すのに興味深々で、屋根裏へ登ったりして遊んでいたんです。

一番高い棟木の裏側から、すごい棒が出てきたんですよ。これはなんだろうと思って。多分想像できないでしょうけれど、「しこみ杖」(外見からは分からないように偽装された刀)なんですよ。あの座頭市の。

さすが古いもんで、抜いたらボロボロに錆ちゃってて、使い物になるようなものではなかったですけど、その印象がものすごく強くて、その作家さんの立てた隠密村だったんじゃないかという仮説に共鳴したんです。

昔の人はみんな山の尾根を越えて、あの間道を通って他国へ出たわけですよね。奈良田の人たちは当時、下駄を作ったり、わらじを作ったり、曲げ物を作ったりして、全国を行商して歩いたんです。

そういうところから、隠密じゃなかろうかという仮説が生まれてきたんです。その人たちが、あちこちの民謡を奈良田に持ち込んだんじゃないか、ということを作家の方はおっしゃるんですが、なるほどなあと思ったんですよね。

加賀の歌だったり、信州の歌だったり。いろんなとこの民謡がここに入ってきてそのまま原型を留めていると。その元の歌の地域ではやっぱり時代の流れに乗って変化して、民謡自体も姿を変えていってると。

——深沢さんのご先祖さまも隠密だったかもしれないと(笑)。

深沢:だったんですかね(笑)。隠密かどうかはわからないですけど、うちはもう代々猟師の家系ですから、ずっと鉄砲撃ちですよね。わたしもそうですし、ですから息子たちにもいろんな技を伝えてるところです。

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熊の胆(い)譲りますと書いた紙がさりげなく貼られている。

猟師の目に映った山の変化

——猟をされるんですか?

深沢:はい、そうです。猟をするにも猟のやり方というか、猟に使う道具も奈良田独特のものがあるんです。

東北のほうに行くと、いわゆるマタギの人たちがいますね。マダギの言葉だとか、猟に使う道具の呼び名だとかが、共通するところがあるんです。すごい不思議に思ってるんですけどね。

クマやイノシシを鉄砲で撃つのが一番安全なんですけど、イヌを使った猟ですから、間違ってイヌを撃たないようにしないとですよね。そのときはどうするかというと「サスガ」でクマを刺すわけですよ。いわゆるナイフの親玉みたいな、簡単な小刀みたいなものです。

マタギの人たちも同じように、クマを刺す刃物を「サスガ」と呼ぶんですよね。おもしろいなあと、いつも思っているんです。ただマタギの人たちとは猟のやり方自体はまったく違うんです。

——主にクマを捕られるんですか?

深沢:クマ、シカ、イノシシ、主にこの三種類を狙いますが、もうこの何年かこの辺では、イノシシは伝染病で山でみんな死んじゃっていないですよ。疥癬(かいせん)っていうダニなんですけど、接触するとどんどん伝染しちゃうもんですから、 イヌもやられるんですよね。

最初はタヌキから始まった病気らしいんですが、タヌキやキツネが疥癬にかかると、保温機能が失われて、全身の毛が全部抜けて裸になって死んじゃうんですよね。それがイノシシにも伝染しまして、全身真っ裸のイノシシが山でいっぱい死んでるのを見ました。

——それはどういった原因が考えられるんでしょうか? 環境の変化によるものだとか?

深沢:温暖化の影響なのかはわかりませんけど、今までなかった病気が結構出ていますね。自然界の動物、あるいは虫、ミツバチなんかもそうですね。

この辺では日本ミツバチを、昔からの古い方法で飼って、秋に蜜を絞って楽しんでいたんですが、ダニ由来の病気が発生して、これも伝染するんですよ。

ミツバチヘギイタダニという、1ミリぐらいの肉眼で見える大きさのダニで、これが付くと全滅するんです。たとえばたった一匹のミツバチに付いたら、その群れが全滅になっちゃいます。

というのは、弱ったミツバチの巣箱に、元気なミツバチが蜜を盗みに行くわけですよ。そこで伝染すると。弱ったハチの群がダメになるころには、ほかの元気なハチの群にまで伝染してしまうという状況で、本当に困り果てています。

——なるほど。その根本原因がわからないと対策もできないですし、生態系にも影響が出ますよね。なんとも歯痒い状況ですね。ところで、さきほど熊の胆(くまのい:熊の胆嚢)があると見かけたのですが……

深沢:熊の胆は高価なもんですから、欲しがる方が非常に多いんです。いっぱい頼まれているんですが、そんなにクマは獲れるもんじゃないんでね。個体数が少ないですしね。

獲った時季によって熊の胆の大きさが違うんですよ。冬眠しているクマからは、巨大な熊の胆が取れます。それを乾燥させて削って飲むんですけどね。

昔は胃の薬なんて言われたもんですけど、今はガンの方や視力の弱った方が欲しがりますね。特に韓国や中国の方に人気ですね。

——どういった味なんですか?

深沢:ただ苦いだけですよ。

——実際に効いたと言われることはありますか?

深沢:欲しがるんですから、効いたんでしょうね。

わたしが譲った横浜のおばあさんは、胃の調子が悪くて飲んだんですよ。結構な歳のおばあさんでしたけど、それまで新聞の字がぼやけて見えなかったのが、飲みきった途端に新聞が読めるようになったから「またもう一つくれ」と言って。

——値段の相場はだいたいどのくらいのものなんでしょう。

深沢:だいたいこの辺りの本州では、場所によって相場が違うんですが、乾燥したもので1グラム1万円です。昔は金といっしょと言われていたんですけど、今は金よりはるかに高いです(笑)。

——結構値の張るものなんですね。

深沢:ええ。北海道では1万3,000円が相場だそうですよ。高いもんですよね。それでも欲しがる人が多いんです。一番デカいクマを獲ったときは、京都のお医者さんが買っていきましたよ。

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壁に飾られた、倒したクマとの記念写真。

命がけの猟

——猟をされていて危険な目に遭われたことはありますか?

深沢:あります、あります。間一髪ってのは何回もあります。

——たとえばどういう感じでしたか?

深沢:クマでもシカでもイノシシでも、やっぱり背水の陣のときは強いですから向かってきます。しっかり一発で仕留められたらいいんですが、向こうも必死ですからね。一度イノシシに狙われたことがあって、もうほんとうに間一髪でジャンプして逃げたんですけどね。

——ジャンプして、ですか?

深沢:たぶん200キロクラスの、ドラム缶みたいに大きなイノシシでしたからねえ。イヌがイノシシを囲んで「とめる」んですよ。逃がさないことを「とめる」って言うんですけど。そこにわたしが行って撃つわけですけど。

イヌもやっぱり怖いですから、結構ばらけていて、わたしがそこに行っても、どこにイノシシがいるのかわからなかった。その先に一番のリーダー犬がいるはずなんですけど、そのときには気が付いていませんでしたが、じつはもうすでにイノシシにやられていたんですね。

やられていることに気付かないまま、リーダー犬のほうに向かって歩いて行ったところ、斜め後ろの茂みにイノシシが隠れていたんですよ。イノシシは攻撃するときには、「ガチガチ」と牙を鳴らすんですが、それが聞こえたもんですから振り返ると、わたし向かって突進して来ましてね。

急な斜面で、しかも雪が30センチくらい積もっていて、ジャンプして逃げて。間一髪でした。山から転げ落ちましたが、さいわい雪があったもので怪我せず済みました。

——斜面にジャンプしたんですか?

深沢:そうです、そうです(笑)。下になにがあるかも知らずにジャンプしましたけど、してなかったらまともにやられていたでしょうから、おっかなかったですねえ。しかもそのイノシシには逃げられて、イヌ3匹やられちゃってね。

一番良いリーダー犬は、内臓を切られちゃったもんですから、リュックの中のザイルやいろんなものを、その場に全部放り出して、リーダー犬を入れて急いで山を降りて、親父の車に積んで動物病院に連れて行ったんですけど、ダメだったですね。翌日まで持たなかったですね。

——猟での事故で負傷される方は、結構いらっしゃるんですか?

深沢:怪我したとかはあんまり聞かないですね。しかし、クマとは正面で向き合うと大変です。怖いです。おっかないです、本当に。

ロビーに飾ってある写真のクマは200キロクラスで、わたしが一人で獲ったんですが、イヌに助けられたんですね。岩穴に向かってイヌが吠えてるんで行ってみたんですよ。タヌキかアナグマぐらいだろうという軽い気持ちだったんですが、冬眠しているクマだったんですよね。

ものすごいガーッという低い声で、ちょっとびびりました。その岩穴は人間も入れるような大きさで。どうしたもんだと思って、どういう穴になっいてるのかなあと、ぐるぐると周りを見たんですよ。

クマは出られないような岩の割れ目があったんですが、イヌがそこから入っちゃって、中でワンワン吠えたら、クマが大きい竪穴から外へ出てて、わたしとバッタリになったわけです。

イヌは穴の中で吠えていたので、クマはイヌのほうを向いて、わたしに背を向けて出てきたので、銃をクマの背中におっ付けて撃ちました。わたしのほうを向いていたら、撃てたかどうか定かじゃないですね。

——銃を背中にあてて撃ったとは、すごいですね……。

深沢:ええ。撃った後は痺れて、全身に電気が走ったように感じました。まあ、獣以外にも山を歩いていると、いろんな怖いこともありますね。

息子たちには今、猟のやり方を仕込んでる最中ですけど、慣れないと山で迷っちゃうんですよね。それが一番怖い。山を歩きながら常に周りを見て、自分の位置を確認するようにと、いつも口を酸っぱくして言うんですが、なかなかできないですよね。

とんでもないところへ行ったりということがあるんですよ。わたし自身も、若いとき迷ったことはもちろんありますから。尾根を一本間違えるととんでもないほうに行っちゃいますから。

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鹿の増加により山が壊滅的になっているという。

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雑木を伐り植えられたカラマツ。

シカ害の現状

——最近の山って昔と比べて、森の砂漠化と言われるように、保水力がなくなったりで、いろんな災害があると思うんですが、猟師から見られてどう思われますか?

深沢:そうですね、山はひどいですよね。日本鹿が増えすぎたのが一番の問題でして。ずっと保護してきたわけですから、行政の責任も大きいと思います。

保護してきたのに被害が広がったら、さあ獲れというんじゃ遅すぎるんですけど。十何年も前からそう発信していたんですけど、なかなかお役所は受け入れないですからね。もう山がね、シカに荒らされて大変な状況になってます。

この辺りの山で冬場に餌がなくなると、シカは木の皮を食べるんですよ。しかも口が届く範囲全部、グルッと皮が食われちゃうもんですから、木は枯れるしかないですよね。今一番被害が多いのがマユミとキハダとミズキ。この3種類の木がものすごく目立ちます。もうほとんど壊滅状態って言ってもいいんですよね。

自然のサイクルだと、木が花を咲かせて実がなって落ちて、そこから芽が出てきますよね。そのサイクルが今、途絶えようとしてるんです。なぜかというと、小さい苗木が根こそぎシカに食われちゃうんですよ。シカの背丈以上に伸びないと、被害からは逃げられないんで。

このまま何年もこの状態が続いたら、山は大変なことになるなっていう危機感を持ってますね。

——シカは駆除の対象ではなかったんですか?

深沢:以前はメスは保護されていて、猟で獲れなかったんです。だから増えるばっかりですね。本当になんとかしないと。シカの問題は全国的らしいですね。

この間、東大の先生が来てちょっと話をしたんです。この辺の山の笹の葉がみんな枯れちゃったんですよ。5~6年前に3年連続で笹に花が咲いたんです。黒い花が。見たことありますか? 笹の花って。

3年連続で咲いたら、ものの見事にこの南アルプス周辺の笹が、全部枯れてました。昔はね、笹がいっぱいあったころには歩けなかった山が、今ではスタスタ歩けます。笹がなくなっちゃったんですよ。

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日本百名山に数えられている笹山(黒河内岳)って山があるんですけど、そこへ行くルートは、笹が深くて歩ける状況じゃなかった。わたしは笹の切れ間を知っているんで行けたんですけど、素人じゃまったく行けない山だったんですね。

ところが今は笹が全部枯れちゃったんで、山の様子が丸っきり変わっちゃっいましたね。だれでもスタスタ歩いていけます。笹が枯れちゃったってのも、シカが山から下がってきたのが大きな要因でもあると思うんですよね。シカの主食は笹ですから。

今は甲府辺りもシカが出没するようになってきてますから、どうなることやらちょっと心配ですね。

——間伐されていないところなど、山の状態が悪くなっていることについてどうお考えですか?

深沢:そうですねぇ、やっぱり間伐ってのは大変大事なことなんですけど、今、材木がお金にならないでしょ。だから森林ってのはもう荒れ放題ですよね、本当に。

西山温泉の脇を流れる湯川って川があるんですけど、その原流域周辺から、ここ奈良田から奥の山の県有林までのすべてを、その昔、全部伐採してカラマツに植え替えられちゃったんですね。見渡す限りカラマツの山ですよ。カラマツなんかじゃ保水力ないですから、川の水が細くなって当然ですよね。

ですから昔に比べれば、川の水量がかなり少なくなってる。ダムで発電所を回しているわけですから、取水する水の量が10年前、20年前に比べたら大幅に減っているはずです。原流域のいわゆる山の高いところまで、カラマツ林にしちゃったわけですから。どうしようもないですよ。

だから今、たとえば丸山林道ってところに行ってみればよくわかりますけど、原生林が残っているのは、急斜面の岩場の足場の悪いところだけ。人間さまが歩けるところはすべてカラマツ林。

だいぶ前に一度、山梨県の森林員になったことがありまして、そのときにそのことを盛んに主張したんですけどね。自然破壊もはなはだしいですよね。人間による自然破壊ですよね。

——なぜカラマツばかりを植えたんでしょうか。

深沢:カラマツが一番、苗を植えるのが簡単なんですよね。その辺に苗を置いておいても枯れないんですよ。スギやヒノキに比べてね。結構乱暴に扱っても付くもんですから、カラマツになったんでしょうねえ。

カラマツはスギやヒノキなどに比べると、木材としての価値は非常に低いですよ。山梨県でも研究所でいろいろな製品にする努力はしているようですけど、クセのある木なもんですから、(加工する時に)どうしても暴れるんですよね。まったくなんのためにあんなことしたのかってのを聞いてみたいですね、本当に。山は荒れ放題っていうとこですかねえ。

この旅館を建てるときに、ご先祖さまが植えてくれたヒノキ材を、親父と二人でで伐り出して、この旅館の構造材すべてに利用しました。全部自前の木ですから、ご先祖様のおかげです。すごい感謝してるんです。

製材賃だけですからね。それでこの旅館を建てられたということです。伐ったところにはもちろん植林して、息子の代には無理だけど、孫が使うか、ひ孫が使うかっていうとこになるわけですけど。

そういうふうに木を使うなら、森林が生きるわけですけど、そうでなくて、伐りだしてそれを売ろうとなったら、スギなんかじゃ絶対に赤字になりますから、ヒノキでトントンにいくかどうかっていう程度ですかね。

森林ってのは以前に比べて、価値がものすごく落ちているわけですから、荒れ放題ってのはもう、やむをえないのかなあって気もしないでもないですけど。なんとかしないといけない、という気持ちは持ってますけどね。

——シカの害や森のカラマツの問題など、今後どのような対策をするのが良いのでしょうか。

深沢:シカの被害については、これはもうシカをやっつける以外には方法はないですよね。今は山梨県でも管理捕獲で、何年間に何千頭という単位で獲るようにして、確実に捕獲は進んでるんですよね。

適正の数に戻るまでに、何年かかるかまではわかりませんけれど、シカについてはなんとかなりそうな感じはしますけどね。各地区の猟友会で管理捕獲してますんで、ある程度の数はたぶん減って来ているんだろうと思います。

森林の整備については、どうなんでしょうかね。出しても価値のない木が、山を全部設計してるわけですから。わたしの個人的な意見ですが、カラマツは全部伐って放っておけば、自然にみな蘇るんだって思っていますけどね。

本当は、ブナやナラを植えれば一番良いんでしょうけどね。まあ自然の力ってものすごいですから、伐って放っておけば自然に蘇るんですよね、間違いなく。一面カラマツだから、ある程度植林はしないと自然に戻せないのかなという気もしますけどね。

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ダムの水は想像上に少なかった。

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「何かいいアイデアはないですか?」と話す深沢さん。

最後の逃げ道

深沢:こういう山奥は、過疎化のスピードがものすごいですから。高齢化が進んで、たとえば地域の年中行事にしても、民謡にしても、この地域でも保存が、次の世代に渡すことが非常にむずかしくなってきているんですよ。

最後の抜け道というか逃げ道というかね、なんとか後継者がいないなら、保存だけでもしなければと思って、みんなで相談して、取り組んでいるんです。

民謡にしても方言にしても、奈良田の古いものについてすべてを、映像にして保存しようという取り組みを今やってまして、だぶん今年中には完成する予定です。

でもそれが仕上がってもね、わたし自身の心の中ではあんまり嬉しくないですよね。やっぱり後継者がいて、人から人へ、脈々と古い文化が繋がって流れていくのが一番理想なんでね。DVDにすることによってそこで止まる、当分流れが止まっちゃうのかなっていう気もするんですけど。

どこの地域もそうだと思うんですけど、過疎化の流れというのは止められないんでね。小学校に子供がいなくなると、地域として成り立たなくなるんで、それが一番の心配ですよね。

後継者がいないってもう、特にこの早川町なんかはすごい状況で進んでますんで。地域の文化がそこでなくなっちゃうのかなという、一番の心配の種ですが、なんかいいアイデアがあったらお聞かせ願いたい。

——Iターンの受け入れなどは、やられていないんでしょうか?

深沢:いろいろと取り組みはしているようですけどね、行政でもそうだし。まあむずかしいよね。

——ぼくらも徳島県の神山町という中山間地に住んでいて、3人とも(取材者)Iターンなんです。

深沢:ああ、本当に。そういう人がどんどん来てくれないですかね。今この集落でも空き家ばっかりですから、もったいないですよね。

——ぼくもこういう映像で、なにかしらご協力できるかと思います。

深沢:ぜひお願いします。東大の先生が毎年お盆に、学生も13人ぐらい連れて来られて、奈良田再生のためにいろいろ取り組んでくれているんですよ。できるだけ協力しながらやっているんですけどね。学生さんから提言を頂いたりしてやってはいるんですけど、なかなかもうパワーがないんで大変ですね。

——そうですよね。よそから人を受け入れていろいろやると、またいろんな問題があったりとか。

深沢:そうですね。田舎はそういうのが大変です。空き家があってもなかなか貸し手がいないんですよね。

——どこも同じ問題がありますね。

深沢:同じですかね。困ったもんです。(了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。