動物とたたかう老婆

インタビュー
2015.06.25

山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた山梨県南巨摩郡早川町は、日本で最も人口が少ないといわれている町だ。

その早川町でも、特に山深い場所にある稲又集落には、2012年の取材当時、3世帯5人ほどが暮らしていた。

住民の一人である望月ふみ江さん(当時94歳)は、お嫁に来て以来七十数年、なんでも自給自足で暮らす中、畑仕事に精を出し、娘さん三人を育て上げた。(去る2014年の12月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします)

「わたしの小ちゃい箱庭」と言って案内してくれた畑には、ふみ江さんお手製の、トウガラシ形の獣避けが吊り下がっていた。さまざまな害獣に荒されている現状を、「まるで動物園みたい」と評しながらも、「くよくよしても仕方ない」と話してくれたその言葉に、こちらが奮い立たされるような気がした。

ふみ江さんは耳が遠く、娘の信子さんに途中で介助されつつの取材となった。以下、そのインタビューの全文を掲載する。
(敬称略)

『産土』第1部、望月さん出演全シーン。

5人だけの村

——ここ、稲又集落はどういった集落ですか?

ふみ江:雨畑(あまはた:稲又近くの地名)は、700年ぐらいの歴史がありますけどね。ここ稲又は、途中から人が集まってきたんです。うちは昔の戦で負けて、向こうの山を越えて静岡のほうから入ってきて、ほいでここへ行き着いたらしいです。6代前に、川の向こうの日向(ひなた)というところが山崩れで流れたんで、こっちへ越して来たんです。

こっちは川をへだって北側で寒く、向こう側は日があたって水もあるし、生活するには住み良いですけど、山が立ってますから危険なんです。昔っから人は住んでたらしいですけどね。

——それは何年ぐらい前のことなんでしょう。

ふみ江:そうだね。ここへ来てから200年ぐらいかな。徳川の中期ぐらいじゃないですか。うちはね、あそこの棟札に、文化3年だか5年と書いてあってね。江戸時代に建てられた寒い家だったから、40年ぐらい前に建て替えたんです。

——ここの集落は、現在3世帯で5人か6人ぐらいが暮らされていると伺いました。

ふみ江:十数年前までだと思うけども、一世帯で家族が5~6人も7~8人もいたんですよ。それがみな、ここは暮らしにくいっていうか、若い人が都会へ出てしまって。今は年寄りばっかで。

今ここでは3軒住んでますけどね、その内の1軒は別のところにも家を建てて、行ったり来たりしてます。うちと、もう一つの大きいうちと、2軒だけが常住。あの大きいうちは大人数ですけど、子供さんがみんな外へ出てるんですよ。

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2012年当時の稲又集落

——一番多いときで、村には何名ぐらいいらっしゃったんですか?

ふみ江:一番少なくて5人ぐらいで、多いときで30人ぐらいいたんじゃないですか。子供が大勢いたから、子供の天国だったですね。外へ出て木で遊んだり、河原へ行ってわーわー騒いで。

そんなころはね、年内の行事も丁寧にやったんですよ。それが楽しみですからね。お正月なんかのハレの日は、子供がうれしがって飛び歩いて。14日にはどんど焼きとかね。あそこに御道祖神っていって大きい石がありますけど、そこでみんなで団子を焼いて食べたり。

20日だったかな、「冠落とし」(弓矢を山の神に供える神事。この日は入山禁止になっている。)なんて言ってね、弓矢を飾ったり。そんなこともあったですけど。だんだん忘れるように、なくなっちゃいましたね。

あのころは子供も元気だったですけど。このごろはね、近所のお孫さんがお盆とか正月に来るでしょ。来るですけど、みんなテレビで遊ぶのかね、音がしないんですよ。わたしはまあ耳が遠いけどね、静かですよ。外も飛び歩かないしね。ずいぶん子供も変わったなって思います。

——お医者さんや病院にかかるとなると、大変なんでしょうね。

ふみ江:ここは病院が遠くてね、ずいぶん苦労したんですよ。まだ道路がないときは、急病が出たら、戸板へ乗っけたりカゴへ乗っけて、それで担ぎ出したの。

今は車が入りますからね。救急車も来るし、助かりますけどね。4キロ下の村に診療所ができて、毎週のようにあそこへ先生が来てくれるんです。

——なるほど。昔はみんなで協力しないと、なかなかお医者さんにもかかれなかったんですね。

ドラム缶の煙

——家の前にある作物はキビですか?

信子:ああ、キビですね。今年は木が良いんで、イノシシに取られなければ結構とれます。

ふみ江:イノシシやサルが来て、畑を荒らしちゃう。ほいでね、一昨年はたくさん取れたけね、へそくり出して村の人に頼んで、あれを作ってもらったの。

——柵ですか?

ふみ江:そう、柵を。シカとイノシシだけは避けられた。でもあれだとサルは飛び越えて、隣のイモとかモロコシとか全部食っちゃったの。ねえ、悔しいでしょ。

わたしは毎朝、4時半ぐらいに起きて畑に行くの。畑に行って火を燃さないと、イノシシとかサルとか来るんですよ。ドラム缶の中へ薪を入れて、草を刈ったのを入れていぶしたりね。

——毎朝されているんですか?

ふみ江:毎日、朝と晩。

——へえー! それは凄いですね。

ふみ江:サルがいないか、昼間の見回りしないとね。知らないでしょ、全部やられちゃうの。百姓してて、なんにも取れないなんて悔しいじゃんね! だから習慣になって。

朝は、夜が明けるのを待ってるの、寝床ん中で。朝4時半でも5時でも夜が明ければ行くの。ほうすればね、あそこは人がしょっちゅう来てるなっと思うと寄り付かないの。人がいなくなると入ってくるだからね。

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朝晩二回、ふみ江さんは必ずドラム缶に火を燃しにくるという。

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昼過ぎの撮影時でも、うっすらと煙が立ちこめていた。

——それでドラム缶に火を焚くんですか?

ふみ江:ええ、火を燃すの。それで大きい木を放り込んでおくの。ほして、一晩中ぶすぶすいぶって煙が出てるです。だから今んとこ、こっちまで来ませんよ。

イノシシだって、腹が減ってどうにもならなければ、火くらい燃えてたって入っちゃうです。腹が減るって切ないこんだねえと思って(笑)。人間ばっかりじゃない、ねえ。 動物のいい餌場ですわ。

信子:もうね、動物園だよね。

ふみ江:そうだよね。

信子:人間が小さくなっててね。

ふみ江:こないだもクマが出て。

——最近クマの目撃情報が多いようですね。

信子:そうだね。わたしもね、朝にイヌを散歩に連れてったら、トンネルのところに蜂の巣があって、そこにクマがいたの。帰って来てすぐに近所に言って。下の家じゃもうね、3回くらいクマが出て、蜂蜜取られちゃったって。

——蜂蜜を取りに来るんですか?

信子:匂いがすると徹底的に来るみたいですね。お父さんがお蔵の中に、蜂の巣を隠して仕舞っといたら、お蔵の戸をクマがかじってたって。香りがある間は来るんですってね。

ふみ江:クマは嗅覚がすごいから。あの家はね、蜂蜜を作るのも名人でね。クマも餌場がなくなったかなんだか、だんだん食い尽くしてきて、ほいでお蔵の中の蜂蜜の匂いを訪ねて来たなんていう具合だね。今年始めて。

——匂いがわかるんですね。

ふみ江:動物って執念深いからね。サルもそうですよ。モロコシがあると思って、ある間は通ってくるの。隣の奥さんは「うちには(モロコシがとられて)もう一本もないよ」って言ってたね。

だからどのくらい餌場が狭まってるかってことね。なんせシカが増えて、青い草がなくなっちゃうんですよ。草を刈ろかと思っても、草刈りをする必要がないじゃんね。こんなにきれいになってっていう状態ですよ。

木の下も、きれいにバリカンで刈ったようにね。青いものは何もない。残ってるのは、シカも食いたくないようなカヤ。それとなんか毒のような草でもあるかな。イタドリに似たでかいのあるじゃん。ガラガラになる実、あれなんたっけな。折れば黄色い汁の出る……。

信子:タケニグサ。

ふみ江:タケニグサか。あれはシカは食わんかな? わたしは出て歩かんからわからんけど。

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インタビューが進むに連れ、色々繋がったのか記憶がはっきりしてきたふみ江さん。

南蛮が、百姓の王。

ふみ江:わたしはね、みんなは信用しないけど、自分だけで考えた対策方法があって。サルがトウガラシを嫌うんですよ。

——トウガラシですか?

ふみ江:サルが南蛮(なんばん:トウガラシ)を嫌うんです。昔の人がね、「南蛮は百姓の王だ」って言っていて、なんで王なのかなと思ってた。

イノシシとサルが、上の畑へサトイモを掘りに来たんですよ。ほれからわたしは考えて、南蛮を赤いのと青いのと、どんどん切ってね、そのサトイモの根っこに、ばらばらと置いて歩いたんですよ。ほうしたら不思議ですよね、それからちっとも来ないじゃん。去年は無事に採れましたよ。

今年はね、よその奥さんが七味の粉になったのくれたの。それを着物の裏なんかに使った赤い絹、あれを南蛮の形に切ってね、七味の粉を入れて糸を付けて、畑のところへ吊るしてったんですよ。

そしたら来ないですわ。南蛮なんかで動物を避けられっこない、なんてみんな言ったけど。わたしはそうやって今も吊るしてありますけどね。

サツマイモもね、絶対残さないようにイノシシが掘っちゃうんです。隣の家は大きい畑へサツマイモを作ったけど、種もないほど掘られちゃったの。それで今年はやめちゃいましたよ。何百年って作っているようなサツマイモですけど。

わたしは100本の苗を買って、じくじく植えて回って、「イノシシが掘ってもいいや」なんて思って、網を縫ってかぶしてね。ほいで、南蛮を上へばらばら置いたり、縫った赤い袋に七味の粉を入れて、ところどころ吊るしたの。そのサツマイモも今、無事ですよ。これからどうかわからんけどね。

——それは「南蛮を植えなさい」という、昔からの言い伝えのようなものがあったんですか?

ふみ江:南蛮が獣に効くとは聞かないけど、百姓の王だということは聞いてたから。なんで王なのかなと思っていたけど、わたしが試してみて、こういうことなのかなって思って。

——昔はシカやイノシシは来なかったんですか?

ふみ江:いえ来た来た。だけど昔はほら、鉄砲撃ちが多かったんですよ。鉄砲が怖いんです。サルなんかね、鉄砲の音がすると2~3日は近寄りませんよ。

近所の家の先代の人は、鉄砲が上手でね。クマやイノシシの大きいものを獲ったらね、2階に皮を張って干しときましたよ。

昔は食料が足りないから、「山さく」っていって、焼き畑をやったですよ。今じゃ焼き畑なんかしたら全然だめですよ。シカやらイノシシやら食い放題。だからね、今「山さく」をする人はないですよ。都会へ行ってみんな現金収入のほうへ走っちゃうから。そのうち食糧難でも来るちゅうような、予感はしますよね。

——食糧難ですか?

ふみ江:ええ、世界から見て日本中がね。みんな若い者が都会に行っちゃえば、田舎は年寄りばかりで、放棄の田畑が増えてるでしょ? それですよ。

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倒されたままの一輪車。村の入り口には掲示物が何も貼られていない掲示板もあった。

「限界の村」っていうのが、現実だね。

——おいくつのときにご結婚されたんですか?

ふみ江:えっと、満22歳だね。昭和17年(1942年)3月6日にここへ来たの。裾をはしょって、山道をてくてく歩いて来ました。

——嫁いで来られたときの思い出を聞かせてもらえますか?

ふみ江:もう忘れちゃった。それでも、なんでも自給自足でね。着るものも、みんな自分でしなくちゃならないからね。嫁に来た人はみんな自分で縫って、子供に着せるものもおおかた縫って着せて。学校のものだけは買って着せたけど、おおかた縫ってね。生活に一生懸命でしたよ。

ちょうど戦争のときですからね。主人は傷病兵で病気になってうちに帰ってたから、役場へ勤めたりしてたけど。男の人は若い人はみな兵隊に行っちまって、先生たちだってみな若い人は徴集されちゃうでしょ。

人がいないから、主人に学校に勤める話がきて。教員の資格はなかったけど、後から補習とか夏休みと冬休みに単位を取って積み上げて、准とか助教員になって。それで30年勤めましたね。傷病兵だから、ちょいちょい病気しながら、やっとのことで満期に退職できましたけど。

でも弱い弱いといいながら、95歳まで生きてね。4年前に亡くなりました。主人も苦労したんですよ。分校へ毎日通ったり、なにかあれば、6キロ先の本校まで通って。子供たちも大変ですよ。6キロの道を1年から中学3年まで通うですから。

この子(信子さん)は中学3年まで、ずっと無欠席で健康優良児。表彰されるくらい元気に育って。3人娘ばっかりですけど、おかげさまで病気をしないで育って、高校を出て短大ぐらいは自分で働いて、公務員の試験を取って。子供はみんな元気に育ってありがたかったです。山で育ったからね(笑)。

——今までで、一番苦しかったことはなんですか?

ふみ江:そうですね、年中苦しいですけどね。子供が進学だ修学旅行だってときにね、わたしが病気になっちゃって。主人も病気がちで、そんときは二人で入院してたのかな。

すぐ治ってきたけどまた病気になって、甲府へ行って手術しなさいって。子供のことを考えると、夜も眠れないですもんね。あれは苦しかったですね。

——逆に一番楽しかったことはなんですか?

ふみ江:そうですね、子供を連れて石和(いさわ:山梨県笛吹市石和町)へ、世界の動物博覧会ちゅうだかに行ったことあるですよ。この娘が6年生かな。小ちゃい子が4~5歳だったんですけど。子供たちを連れて博物館へ行ったときですね。

世界中の動物が集まって。ペンギンとかメガネザルとかヘビとか、いろいろあったね。そんときなんかは一番楽しかったですね。子供が喜ぶし、自分も喜んだし。そんなのがいいですね。

わたしはガラガラしてるから、いつもなにか良ければ「わっはっはわっはっは」って笑って通ったからね。主人はみんなから見ると、大人しくていい人じゃんなんて言われたけど、わたしはずいぶん厳しい人だなと思ってね。

一生仕えていたけど、あんまり夫婦喧嘩もしなかったかな。幾年か前に、初めてお父さんと喧嘩したけどね、それまで一切喧嘩はしないです。

——戦時中と今と、暮らしぶりは変わりましたか?

ふみ江:全然違いますよね。そりゃ、若い人の代になったら全部変わっちゃってね。世の中が変わったくらい。昔の面影はないですよね。

——家や村の光景も変わりましたか?

ふみ江:村は自然に消えてくっちゅうの。「限界の村」っていうのが現実だね。自然に人が減っていって、出た人が帰って来なければ、自然に消滅するよね。

生きてるうちだけ、元気に暮らしていくしかないね。くよくよしても仕方ないから。

わたしはおかげさまで健康に恵まれてるから。足だけ悪いけどね。口と手は達者だから(笑)。動いていろいろ作れてね、人にも渡したりもらったり。楽しいですわ。元気で健康ってありがたいことだなっと思って。それだけですね。

——今お歳は94歳ですよね。

ふみ江:94歳。もう1年ぐらい生きそうかな?

——あと6年は生きてもらわないと。

ふみ江:6年?

——100歳までは。

ふみ江:100歳まで? 生きられたらね。

——150歳ぐらいまで。

ふみ江:はっはっは。わからんね。

——でもお元気ですね。

ふみ江:口だけ元気。みなさんのような若い方に会って、話してるとおもしろいもんね。活力があるから。はっはっは。

——ありがとうございました。(了)

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撮影後の一枚。

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。