モグラの雨乞い

インタビュー
2015.06.24

山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた山梨県南巨摩郡早川町は、日本で最も人口が少ないといわれている町だ。

その早川町の中心地から山道を車で走らせしばらくすると、19世帯27人(2015年1月現在)が暮らす集落、茂倉(もぐら)がある。かつて(茂倉)鉱山が開かれていた昭和40年(1965年)ごろまでは、とても栄えていたというが、かなりの高地にあるという立地であることから交通の不便さがひどく、今は過疎に悩まされている。

取材に訪れる数週間前、約60年ぶりにこっそりと「雨乞いの儀式」を催したと聞き、それはただごとではないと茂倉の住民である深澤礼子さんや、望月利子さんらにお願いし、再現してもらえることになった。

儀式の撮影を終え、住民の方々と談笑しつつ昔のことをを伺っていると、最初はぽつぽつと、次第に強くなる雨脚。本当に雨が降り始めたのだった。

「わたし」のことを「うらあ」と言うんだ、と教えてくれた望月利子さんをはじめ、茂倉の女性たちの話はじつに軽妙でリズミカル。まるで掛け合い漫才かのようでおもしろい。

一人が話しだすと、すぐ隣りの人がチャチャを入れる。喧嘩しているようにも見えるが、ちゃんとコミュニケーションができているのである。

文字にするとが伝わりづらいが、映画に登場した茂倉の女性たちの会話のほぼ全文を、ここに掲載する。
(敬称略)

映画『産土』に登場する茂倉の雨乞い映像、ノーカット版。

昔は行事がたくさんあった。

——「もぐら」って変わった名前ですね。

望月:ほんと、茂倉って書くだから「しげくら」って言えばよかったのにね。

善光寺なんかにみんなでお参りに行ったらね、案内人が「モグラのみなさ~ん」なんて言ったら、こんなになって(とモグラの真似をしてしゃがみつつ)来るのかと思ってみんなに笑われてたね。

「モグラのみなさん、モグラのみなさん」だなんて言うもんだから、ほんと、どこのモグラが来たんだなんて思ってね。わたしはアクセントが悪いっていって怒っただよ。

(一同爆笑)

——(笑)。今回やってもらった雨乞いをやられたのは何年ぶりくらいですか?

深澤:50年ぶりくらいだよね。

望月:もっとだよ。60年くらい経つねえ。

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ほとんどの村人が、50年振りの雨乞いの撮影のために集まってくれた。

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深澤礼子さん(左)と、望月利子さん(右)

——ここはどういう集落なんですか?

深澤:早川町の中でも、茂倉ほど大きい集落はないよ。一番大きな集落だね。

ここの国玉神社っていうのも格式があるようだし、鳥居が二重なのも珍しいしね。昔は行事が多いとこでね。今でもかろうじて、少なくなってもやってんの。毎月行事があるだから。

4月は三番叟(さんばそう) をやってね、ここでゴザ敷いて能を舞うの。白式尉(はくしきじょう) と黒色尉(こくしきじょう) で。「な~るは滝の水~」とか言ってね。

(一同三番叟を歌いだす)

深澤:こないだはここ(神社の境内)で相撲とったの。

望月:昔は二日づつやったね。8月17日は「役相撲」で、18日には「花相撲」っていって。

「役相撲」は結婚した人に花を持たせて、大関とか横綱にして、寄付をさせて。その翌日の「花相撲」は、ほかの地区の新倉(あらくら)とか大原野(おおはらの)とか、どこの人でも相撲をとれた。

そのあと19日は若いものが自分たちが身体を休めるためにね、部落の人も足止めをするように、よそへいくのをを止めて、各部落の道路へみんな若い衆が寝っころがってて畑とか山へいって、外へ出るなっていう感じで。そうやってみんなお付き合いして遊んだの。

深澤:8月1日から1ヶ月、9月10日まではずっと盆踊りをするのね。着物の裾が切れるまで。

望月:ひゃーかん、ひゃーかん」(かけ声)してね。

深澤:あっち(と前方の山を指差して)に「七面堂」ってのがあるのね。アカシの松の木の根っこを細かくして、それに火をつけて、缶詰の缶に入れて穴を開けてね。1ヶ月間、お盆の迎え火に「ひゃーかん、ひゃーかん」て吊るして歩いて。

望月:ちょうどお墓の上を行くもんで、迎え火っていうんだね。

深澤:「切り子」って灯籠に火を灯してね、お盆中やって。12日は山の花取り盆でね、13日がお墓の花取り盆で、15日、16日と遊べるね。

望月:それで17日は午前中働いて、午後は相撲をとるから、ここ(神社)へ見にきたんですよ。西と東で大勢、みんなが角力をとりきれんほど人がたくさんいた。昔は大きなゴザをざーっと敷いてね。今はブルーシートだけど。

深澤:春の神輿だって、普通お神輿って担ぐと思うでしょ? ここは担がないの。お偉い人たちを乗せて歩く籠があるでしょ。ああいう感じで、絶対肩で担がないの。

望月:今は法被(はっぴ)だからいいけど、昔は着物を着て袴をはいて。四隅の方はね。昔は25歳までしか神輿を担げなかったの。

深澤:戦争に行ってた人が、帰って来たときに25歳過ぎてるから、お神輿が担げなくて悲しいって泣いたりしてね。

望月:それくらい大勢の人がいたんですよ。

深澤:うちのほうのお御神輿は、ちょっときれいなお神輿だよ、手作りでね。

望月:毎年大工さんが作り直すね。

深澤:ここで「湯立ての行事」もやって、きれいにちゃんとしてやるの。

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高地の斜面に点在する茂倉の集落

暮らしの変化

——昔の暮らしと今の暮らしでは、どんなところが変わりました?

望月:昔はぜんぶ手でやってたけど、今は自動で東京で住むのと同じですよ。もういろいろ変わりましたね、人間は変わらないけど。シワだけは増えたね(笑)。もう数えきれないほどね。

この集落の周りはみんな麦畑だったんですよ。だからシカもそんなに接近しなかったです。

深澤:だいたい今の雑木林があるところ以外は、今はヒノキばっかりだけども昔は畑だったんですよ。だから年中百姓をしてね、休むときは嬉しかったね。お盆休みは。

ここをちょっと行ったところに、茂倉鉱山っていうのがあったから、茂倉の人たちは部落から出ないで、けっこう文化的な生活をして。

望月:茂倉鉱山に行ってる人は、社会保険にみんなかかっているから良かったんですよ。行けない人は大変だったね。それも昭和42年(1967年)にすっきりきれいになっちゃったからね。

その鉱山で映画を買ってくれてね。茂倉鉱山まで映写機を上げて、そこから鉱山の人が背負ってここまで来て、映画館にしたんですよ。白いもの張って、庭でみんなで見たんですよ。5月3日の祝日にね。

深澤:春祭りにはそこに公民館があって、芝居もしたんですよね。

望月:習うは1ヶ月、やるは一晩でな。

深澤:村にはなんの娯楽もないから、それを楽しみにしてたんですよ。わたしたちが適当に踊ったり芝居をしたり。

望月:そうすると近隣の早川とか新倉とか、みんな見に来てくれるんですよ。今はもうテレビがあるから、そんなことしないでみんな楽しんでるからね。

『産土』の中の茂倉の女性たちのインタビュー全掲載

深澤:そんなところも暮らしが変わったよね。昔から「いいごと(ことわざ)」があるだよ。

望月:「恋じゃ新倉、情けじゃ茂倉、情けないのは大原野」そういうことわざがあるだよ。

深澤:だから茂倉の人たちは情け深いの。

望月:そう言うと、大原野の人に悪いような気がするけんど。

深澤:茂倉の人たちはコミニュケーションがいいなと思う。そこが良いとこだよ。

望月:だれか一人でも見かけなきゃ、連れに行ってくるから。「始まるから早く来いよ」なんて、そう声をかける。

深澤:今は都会なんかだと、人と人との関係が希薄になってるじゃないですか。だけど茂倉の人は、あれ見えないな、このごろどうなったかなと。

望月:風邪でもひいてねえってるずらかなってね。

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神社の裏手に貼付けられたシール。随分と昔に付けられたのかかなりの年月を感じさせる。

賑やかさと、さびしさと。

深澤:だからわたしら……。

望月:この人は(と深沢さんを指して)教師やっていたから「わたし」って使うけど、「わたし」なんて言葉は使わない。「うらあなあ」って使う(笑)。

あるとき行商の人が来て「このTシャツ買ってください」って言われて、「うらにも着れるか?」って言ったんです。行商は「裏は着れない」って言うから、「それじゃいらない」って(笑)。その笑いごとがある。本当のこと、本当ですよ。

——自分のことを「うら」って言うんですか?

望月:そう。「わたしら」って言えないから、「うら」とか「われ」とか「おれ」とか。

深澤:その行商のおじさんもバカ見ちゃったじゃんね。

こういう風に話しているとね、孫が言うんですよ。「おばあちゃんは女の子でしょ。どうして男のような言葉を使うの? わたしんちでは良い言葉使って、おばさんたちとは悪い言葉を使う」って言うの(笑)。

望月:喧嘩に見えるんだって。「おばあちゃん喧嘩しちゃダメ!」って。喧嘩じゃなーわってね(笑)。

深澤:ここのおもしろいところは、みんなで蜂の巣をつついたようにしゃべってるだけどね、それでちゃんと意思の疎通が取れてるところだよね。てんでに今日みたいに言ってるんだけど、ちゃんとわかってるのよ。

望月:シャレた言葉は使えない。だから旦那のことは「お父さん」て言わないで、「おとう、おとう」って言ってね。

女性住民:孫が買い物に行くって言ったから「さあ、えべさー」って言ったっちゃ。そしたら「えべさーのおばー」なんて言われたさ(笑)

——「えべさー」ってなんですか?

望月:「さあ、いこう」っていうこと。「なにをぐずぐずしてるだ、さあ、えべ」って(笑)。

——いやあ、みなさんすごいですね(笑)。笑いが絶えなくて。

望月:みんなここじゃしゃべくるけど、一人もんばっかしだし、普段はしゃべる人がいないだよ。二人いれば良いほうだね。二人いてもしゃべらないおとうもいいねえ(笑)。

深澤:(旦那さんのほうを見て)笑ってるよ(笑)。うちは朝起きて「おはよう」って言うね。

——旦那さんは無口なんですね。

深澤:わたしはその倍も数十倍もしゃべるだけど。しょうがないから、家じゃわたしが漫才をしてるさ。

あとね、茂倉の人たちはみんなひょうきんな顔してる、モデルになりそうな(笑)。美人とかイケメンとかじゃなくて、写真ってさ、ユニークだとモデルになるじゃん。そんな衆がいっぱいいるから、よくカメラマンが来て写真を撮ってく。だから役者が多いんだよ。けっこう画になるだよ。

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今日は今日で一杯なんです。

深澤:わたしの息子(昭和54年/1979年生まれ)が、この集落で最後の子供だよ。村中の人に可愛がってもらったよね。

——これからよその人が移住して来たり、ということは考えられないですか?

深澤:移住しても、村の付き合いができない、そういう人は困ります。ここはいろんな行事もあるしね、水を2キロ奥から引っ張ってくるだもの。ただお金だけ払えば飲める、なんて人だったら困るね。

望月:向こうにタンクがあるの。普段はそれでいけるけど、故障したときなんかね。

深澤:崖崩れなんかで故障して、集落に水が来なくなると、村中みんなで修理をしてきたよね。パイプが穴空いちゃったから「ほれ困る」ってみんなで行ってやってきたの。そういう協力の精神は旺盛だよ。助け合いでね。

——なるほど。

深澤:郷役(村作りのための諸活動)なんかのときには、ここに暮らしてない、子供たちや親類も帰って来て、いろいろやってくれるの。

「12月の何日」って決まっているから、埼玉や甲府にいても、そのときはここに来て、道作りとか水道とか、いろんなことをやってくれるの。すごいことだよ。

ここで生まれ育った人たちが、年に2~3回くらい来て、昔ばなしに花を咲かす、そういう喜びもあるわけ。だから遠くてもわざわざ足を運んでくるの。

望月:それと、自分が持っているものは人にあげたり。ここにいるには健康じゃなくちゃね。わたしはそういう主義さね。心の貯金をしようと努力してるけど、まだまだ。今日は今日で一杯なんです。

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眼前の畑を利子さんに説明してもらう。

——もし生まれ変わったとしたら、またこの村に住みたいですか?

深澤:ここは良いとこなんだけど、交通の便が悪いから、それだけがね。とにかく病院に行くときに困るさね。防災訓練なんかのときはね、心肺蘇生訓練でもしなきゃね。

具合が悪くなって救急のときに消防署へ電話をかけるでしょ。ここまで15分、なんやかんやして20分、病院まで40分。電話してから病院着くまで、1時間以上かかる。それまでに死んじまうだから。

それにここへ来るまでの道には、人家もなにもないでしょ。なんかあったとき、それが心配なの。

昔は勤めで毎晩10時帰りで、人家のない道をここへ来るのが怖いさ。なんかあっちゃ困るから「今帰るよ」って電話入れるの。帰る時間が遅きゃ、なんとか探してくれるでしょ。いつもそういうふうにしてね。

昔は歩くのは怖くなかっただよ。夜遅く一人で歩いて登って来るだよ。今のほうが怖い。クマがいるとかね。昔そんなものいなかったもの。

——クマがいるんですか?

深澤:今はね。クマもシカもいるし困るよ。気をつけないとね。(了)

執筆者

長岡参
長岡参
千葉県出身、2012年から神山町在住の映像作家。長岡活動寫眞を立ち上げる。『産土』『産土 壞』の監督、企画、編集まで担当する。